東京都写真美術館の外壁コレクション ー ロベール・ドアノー、ロバート・キャパ、植田正治

写真黎明期の史料から現代作家による写真作品まで、写真・映像に関する幅広いコレクションを所蔵する東京都写真美術館。
建物の外壁にも、写真が展示されています。

東京都写真美術館のコレクションを外から見る


東京都写真美術館(東京都目黒区三田1-13-3 恵比寿ガーデンプレイス内)の入り口に続くアーケード(JR恵比寿駅側)の壁に、3点の巨大な白黒写真が張り出されています。
これらの写真はすべて東京都写真美術館のコレクションに収められているため、タイミングが合えば展示室で出会えるかもしれません。
複製と拡大が簡単にできるのは写真の良いところです。

東京都写真美術館と外壁写真

写真は手前から順に、フランスのロベール・ドアノー

ハンガリー出身で世界的に活躍したロバート・キャパ

日本の植田正治

の3点。
東京都写真美術館の建物と外壁写真は、東京都写真美術館ニュース別冊「ニァイズ」vol.14(2012.2.15)でも紹介されています。
また、各作品に関する詳しい情報は、東京都写真美術館ホームページの「コレクション検索」で調べることもできます(TOPメニュー「コレクション」内)
東京都写真美術館の公式ホームページはこちらからどうぞ


東京都写真美術館のコレクションから ー ドアノー・キャパ・植田

ロベール・ドアノー、ロバート・キャパ、植田正治は、いずれも世界的な評価を受ける重要な写真家。
東京都写真美術館の外壁に飾られているのはそれぞれの代表作です。
撮影した人も撮影場所もバラバラな3作品ですが、実は2点が1950年頃の撮影で1点は1944年撮影と、近い時期の作品です。

ロベール・ドアノー《パリ市庁舎前のキス》1950


フランスの写真家ロベール・ドアノー(1912-1994)は、パリとそこで暮らす人々の日常を写真に収めました。
パリの街中でキスを交わす恋人たちの写真はアメリカの写真雑誌『LIFE』1950年6月12日に掲載されたものです。

『LIFE』の記事ではドアノーの《パリ市庁舎前のキス》以外にも街中でキスを交わす男女の写真を紹介して

“In Paris young lovers kiss wherever they want to and nobody seems to care”

と、パリでよく見かける風景のように扱っていますが、1950年当時のパリでも人前で堂々とキスをするのは一般的ではありませんでした(現代はどうなんでしょうね?)。
これらの写真は『LIFE』が依頼した演出で、ドアノーの写真も演劇学校の学生に頼んで撮っています。
ところが1980年代のはじめ頃、この作品が絵葉書やポスターになって世界的にヒットすると、自分たちがモデルだと名乗りを上げるカップルが10組以上も現れたそうです。
うち1組は訴訟まで起こしましたが、裁判はドアノーの勝訴で終わりました。
(本物のモデルも肖像権料を要求して訴訟をしていますが、撮影後に謝礼を受け取っていたことがわかってドアノーが勝訴しました)
作品の背景になったパリ市庁舎では、2006年にドアノーの大回顧展が開催され、もちろん《パリ市庁舎前のキス》も展示されました。


ロバート・キャパ《オハマビーチ D-デイにノルマンディー海岸に上陸するアメリカ部隊》1944


ロバート・キャパことフリードマン・エンドレ(フランス語ではアンドレ・フリードマン。1913-1954)は、ハンガリー生まれのユダヤ人です。
アメリカに亡命して(1940年に永住権獲得)「アメリカ人カメラマンのロバート・キャパ」として活動するようになったのは1934年以降のことでした。
キャパは報道写真家・戦場カメラマンとしてスペイン内戦・日中戦争・第二次世界大戦(ヨーロッパ戦線)・第一次中東戦争・第一次インドシナ戦争を取材。
インドシナ戦争の取材中に地雷に接触して亡くなるまで、最前線の現場を世界に発信しています。

この写真は1944年6月6日、連合国軍のノルマンディー上陸作戦の現場で撮影された作品。
『LIFE』1944年6月19日号に掲載されました。
ブレた荒い画像から、戦場の緊迫感が伝わってくるようです…が、キャパが当時を振り返った自伝『ちょっとピンぼけ』によると真相は以下の通り。

(略)しかし、残念ながら暗室の助手は興奮のあまり、ネガを乾かす際、加熱のためにフィルムのエマルジョン(乳剤)を溶かして、ロンドン事務所の連中の眼の前ですべてを台なしにしてしまった。
一〇六枚写した私の写真の中で救われたのは、たった八枚きりだった。
熱気でぼけた写真には、“キャパの手はふるえていた” と説明してあった。
(『ちょっとピンぼけ』川添浩史/井上清一訳、ダヴィッド社、1956年)

偶然が生み出した「ピンぼけ」効果は、自伝のタイトルにも採用されました。
(『ちょっとピンぼけ』の原題は Slightly out of Focus)


植田正治《妻のいる砂丘風景Ⅲ》1950頃


「砂丘は巨大なホリゾント」という名言をのこした植田正治(うえだ しょうじ。1913-2000)は、空や砂浜を利用した平坦な背景に被写体を配置した「植田調」で世界的な評価を得ました。
ホリゾントはスタジオで被写体の背景に使う白い布のことです。
植田調の誕生は、植田が写真館の店主として働きながら写真家としての活動をしていたことに関係があるのかもしれません。

《妻のいる砂丘風景》は、1949年頃から撮影された「砂丘もの」初期のシリーズ。
右手前に佇む和服の女性が妻の紀枝さんです。
植田家と砂丘は同じ鳥取県内にありましたが、家のある境港と砂丘はそれぞれ県の西と東に分かれていて、およそ100kmの距離がありました。
運転免許を持っていなかった植田が鳥取砂丘で撮影する時は、鉄道を使うか仲間の車に乗せてもらっていたそうです。
現在「砂丘もの」とされている作品の中には、植田家の近所にある弓ヶ浜海岸など、砂浜で撮影したものもあるんだとか。

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