日曜美術館「安藤忠雄 魂の建築」(2022.11.20)

2009年に癌の診断をうけ、2度の手術を乗り越えた建築家の安藤忠雄さん。
「誰でもみな1回死ぬわけですよ」と語る安藤さんは、
いかに死ぬか・生きるかを考えながら目の前の仕事に取り組んでいます。
日曜美術館では、これからも安藤さんの魂とともにあり続けるだろう
建築プロジェクトを紹介しました。

2022年11月20日の日曜美術館
「安藤忠雄 魂の建築」

放送日時 11月20日(日) 午前9時~9時45分
再放送  11月27日(日) 午後8時~8時45分
放送局 NHK(Eテレ)
司会 小野正嗣(作家、早稲田大学教授) 柴田祐規子(NHKアナウンサー)

フランス・パリの歴史的建造物を現代美術館に生まれ変わらせるというビッグプロジェクト。設計を手掛けるのは、建築家・安藤忠雄さん。がんを患い、2度の大きな手術を乗り越えて、今、新たな決意で建築と向き合っている。歴史と現代の融合、自然を大切にした建築、そして、次世代を生きる子供たちに贈る図書館。病を経て、安藤さんが取り組むプロジェクトの現場に密着。建築を通して未来に伝える安藤さんのメッセージとは。(日曜美術館ホームページより)

出演
安藤忠雄 (建築家)
フランソワ・ピノー (現代美術コレクター)
福武總一郎 (福武財団理事長)


建築家・安藤忠雄の姿勢

青春のりんご

安藤さんは手術によって5つの内臓を摘出し、
現在も1日に6回は血糖値を図る生活を送っています。
それでも精力的に仕事を続ける安藤さんに
「内臓がなくなっても元気で縁起が良いから」という理由で
仕事を依頼してくる人もいるとか…?

安藤さんが設計した兵庫県立美術館の野外展望スペースには、
人間よりも大きな青リンゴのオブジェが設置されています。
この《青りんご》(2019)は
アメリカの詩人サミュエル・ウルマンの「青春」の一節

“Youth is not a time of life; it is a state of mind”

をモチーフにした作品で、人生の最後まで青く、
青春のまま生きていこうというメッセージが込められているようです。


こども本の森 中之島(日本、大阪)

こども本の森 中之島

これとそっくりな青りんごが、2020年大阪にオープンした
子供のための図書館「こども本の森 中之島」のエントランスに設置されていました。

建築費は安藤さんの寄付、土地は大阪市が提供、
運営は市民や企業の寄付でおこなわれるこの図書館は、
物語の断片が影絵で写しだされる休憩室や
椅子がわりに座って読書することもできる大階段など
これから青春を迎える子どもたちがのびのびと過ごすための工夫がこらされています。

「いつも青いリンゴが前にちらちらするように生きたほうが良いんじゃないの」
と語る安藤さんは、その言葉にたがわず自らの青春をひた走っているような所があります。


安藤忠雄の建築と光

《ロンシャンの礼拝堂》の影響

安藤さんは1941年大阪で生まれました。
(双子の弟は都市計画家の北山孝雄さんです)
17歳でプロボクサーのライセンスを取得してデビューしましたが、
自宅の改築をきっかけに建築に興味を持ったといいます。
大学や専門学校には行かず、独学を重ねて1級建築士の資格を取得。
1969年に大阪で安藤忠雄建築研究所を設立します。

建築家としての安藤さんが大きな影響を受けたのは、
24歳で世界の建築をめぐりスケッチした際に出会った
《ロンシャンの礼拝堂》(1955、フランス)。
不規則に切られた窓から光が入り、建物の中にあふれる様子が印象に残ったそうです。
設計者ル・コルビュジエ建築は、
コンクリートの性質を利用した自由な形と自然光を取り入れた内部空間が特徴のひとつ。
安藤さんの建築にも、コンクリートの造形と自然光による演出が多くみられます。


ヴァレーギャラリー(日本、香川)

ベネッセアートサイト直島

香川県の直島を現代アートの島としてプロデュースする
「ベネッセアートサイト直島」は、80年代の後半から始まったプロジェクトです。
直島は明治期から銅製錬所がおかれ工業地帯として発展しましたが、
この頃は経済が低迷し、人口も減少していました。
プロジェクトを主導した福武總一郎さんは、
都市化・工業化で痛めつけられた島と素晴らしい瀬戸内海、
そしてメッセージ性のあるアートを合わせれば「絶対負けない自信があった」と語ります。
安藤さんはこのプロジェクトがマスタープランを担当し、主要な建物を設計してきました。

2022年にオープンした9つ目のギャラリー「ヴァレーギャラリー」は
窓ガラスなどを一切つけない半野外の建築と周りの土地からなり、
建物の中には自然の光がまっすぐに入ってきます(当然雨や風も)。
建物の中と外に広がるのは、は草間彌生さんの作品《ナルシスの庭》(2022)。
これは大量のミラーボールを床に配置する作品です。

最初のプランでは建物の内壁に壁画を飾る予定だったのですが、
2021年に視察に訪れた安藤さんの「壁いらんわ」の一声で中止となりました。
言われてみれば、床にならぶミラーボールの存在感が十分すぎるところに
壁画まで持ってきた場合、コンクリートのシャープな線と
光の効果は台無しになっていたでしょう。
「光が建築を作る」と語る安藤さんは、ギャラリーに入る美術作品にも遠慮しません。
「作品と建築が仲良くする必要はない」「ぶつかったらええ、ドーンと」だそうです。


安藤忠雄プロデュース・過去と現在が融合する建築

ブルス・ドゥ・コメルス/ピノー・コレクション(フランス、パリ)

ブルス・ドゥ・コメルス

現代美術コレクターのフランソワ・ピノーさんと安藤さんは
30年にもわたる交流があります。
2015年、2度目の手術を終えた安藤さんがフランスにピノーさんを訪ねたことから、
パリの歴史的建造物ブルス・ドゥ・コメルス(商品取引所)を
ピノーさんのコレクションを展示する美術館に改造するプロジェクトが始まりました。
パリに美術館を作ることは、ピノーさんにとって長年の夢だったそうです。

16世紀頃、ここには王妃カトリーヌ・ド・メディシスが建てさせた邸宅がありました。
それが18世紀に古代建築をイメージした円形の建物に改築され、
穀物取引所として使われるようになりました。
1812年にドーム型のガラス屋根が付け加えられ、
さらに1889年のパリ万博のために再構成されたのが現在のブルス・ドゥ・コメルス。
(穀物取引所としての役目は21世紀に終わりました)
円形のメインホールに入って上を見上げると18世紀のガラス屋根があり、
その周りを1889年に描かれた壁画が取り巻いています。

建物の古い部分を活かしながら新しい要素を取り入れた建物を注文された安藤さんは、
メインホールの中に直径29m高さ9mのコンクリートの円筒を挿入する計画を立てました。
古い建物(過去)の中にコンクリートの空間(現代)を取りこむアイデアは、
やはりピノーさんの注文でベネチアにある17世紀の建物(旧税関)を
現代美術館に改築したプンタ・デラ・ドガーナ(2009)にも使われていますが、
ブルス・ドゥ・コメルスのコンクリート空間はさらに大規模なものになります。


改修工事からオープンまで

改築工事は、まず18世紀の建物部分を修復し、それからコンクリートの打設が始まります。
要となるコンクリート壁の試作を見に来たピノーさんはコンクリートの質感にこだわって
「これは粗すぎます」「現場に譲歩しないでください」と厳しくチェックしていました。
もっともピノーさんによると「彼(安藤さん)が要求するレベルを知っているので」
あえて厳しくしたとのことです。

順調に進められていた工事ですが、2020年の新型コロナウイルスの流行で工事が一時中断。
フランスだけではなくいくつものプロジェクトに影響が出てしまいました。
これに対して安藤さんは「仕事いうのは必ずうまく進んでいくとは限らない」と、
どっしり構えています。
「暗闇の中を走っていくのが人生です」
という言葉は仕事論にとどまらず、安藤さんのこれまでを総括しているかのようでした。

ブルス・ドゥ・コメルスは当初の完成予定より1年遅れた2021年6月にオープン。
円筒に囲まれたホールはあえて何も置かずに
ガラスの天井から差し込む光だけが満ちる「自分と向き合う場」とし、
その外側に展示空間、さらに18世紀の建造物…という構造になっています。
円筒の外側にある階段を上ると19世紀の壁画が近づき、
地下に下りれば現代的な空間が広がります。
ピノーさんも過去と現代をつなげる円筒を
「まるで過去からそこにあったような自然なたたずまいです」と絶賛しました。

16世紀に最初の邸宅が作られて以来、
ブルス・ドゥ・コメルスは時代ごとの要求に応じて姿を変えてきました。
21世紀に付け加えられたコンクリートの壁も建物が重ねた歴史の一部となって
何世紀も受け継がれていくことでしょう。

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