日曜美術館「陶の山 辻村史朗」(2022.7.24)

小野正嗣さんが向かったのは、
奈良市内から車で30分ほどかかる水間町の山の中でした。
陶芸家の辻村史朗さん(1947-)は、
2万坪の敷地内に自宅・窯・作業場・茶室を構えて、
ひたすら陶器を作る日々を送っています。

2022年7月24日の日曜美術館
「陶の山 辻村史朗」

放送日時 7月24日(日) 午前9時~9時45分
再放送  7月31日(日) 午後8時~8時45分
放送局 NHK(Eテレ)
司会 小野正嗣(作家、早稲田大学教授) 柴田祐規子(NHKアナウンサー)

荒々しさと静けさが同居する唯一無二の作品で知られる陶芸家・辻村史朗。20代で奈良県の山中に自ら窯を築いて以来50年、師につくことなく一人で土と格闘してきた。自宅と作業場がある2万坪の山には、生み出した数十万もの焼き物が無造作に置かれる。「焼き物の真骨頂は、茶碗。」信楽、備前、唐津、伊賀などあらゆる茶碗に挑んできた辻村が、今最も心血を注いでいるのが志野。作陶の道を究め、挑み続ける創作の現場に密着!(日曜美術館ホームページより)

出演
辻村史朗 (陶芸家)
辻村三枝子 (妻)
辻村塊 (次男・陶芸家)
世界的コレクター
メトロポリタン美術館の学芸員


山の中に茶碗が?― 辻村史朗の作品収蔵

辻村さんが焼いた陶器は、山の中に置かれています。
保管用の建物があるわけではなく、山の中で雨や雪にさらされ、
時間がたてば枯葉に埋もれたり苔が生えたり…
これを見た世界的なコレクターは
「なんてことだ! 転がっている陶器すべてが最高じゃないか!」と叫んだそうですが、
世界レベルの審美眼を持たないわたしの目には
打ち捨てられているようにも見えます。

辻村さんによれば、
割れないように考えたうえで配置を決めているし
どこに何があるのかもきちんと把握しているそうです。
小野さんいわく「器が自生してるみたい」。
たしかに薮の中から作品を取り出す様子は
キノコかタケノコを収穫している姿を思わせます。

2022年の5月13日から6月19日まで京都伊勢丹内の「美術館 えき KYOTO」でおこなわれた
「自選回顧展 陶芸家 辻村史朗」に展示された作品も山から「収穫」されたものです。
タイトルに「自選回顧展」とありましたが、
置き場が山の中なこともあって、辻村さん本人にしか選べないのでは?
という疑問も湧いてきます。
なにしろこれまでに作られた作品は数十万点にも及ぶそうですから…


やりたい事に前のめり ― 辻村史朗という人

辻村さんの作陶は、土づくりから焼き上げまですべてひとりの作業です。
それどころか作品を焼く窯、作業場、家もすべて基礎から作りあげたといいます。

洋画家志望から陶芸家へ

辻村史朗さんは、1947年に奈良県で牧畜を営む家に生まれました。
1965年に洋画家を目指して上京しますが学校が合わず、放浪の画家に憧れたそうです。
19歳の頃、禅に興味をもって曹洞宗の禅寺に入門し、
2年ほど「出たり入ったり」していました。
陶芸に進んだきっかけは、
21歳の時に日本民芸館で出会った作者不明の大井戸茶碗(銘:山伏)です。
繕いの跡がいくつも見える作者不明の茶碗の中に含まれた時間が
アーティストの琴線に触れたのかもしれません。

1972年、辻村さんと奥さんの三枝子さんは
奈良の山中に1200坪の土地を買って移り住みます。
建物ができるまでは「冷凍庫より寒い」中(作業開始は1月)テントを張って寝泊まりし、
現金が必要になると夫婦で山をおりて焼き物を売りに行く生活だったそうです。

そうして築いた場所で、辻村さんは日本中の様々な焼き物を作っています。
名前が挙がっただけでも、粉引・伊賀・刷毛目・井戸・唐津などなど。
それをすべて一から工夫するのですから、かかった労力はどれ程のものだったのか
考えただけで頭が下がります。

一人でやるのが効率が良い?

たった一人で、何もないところから物を作っていくことは
手間と時間を考えると効率が悪いのでは? という小野さんの質問に、
辻村さんは「効率的には実は良いんです」と答えています。
たとえば大きな窯を使って焼き上げる作業も、
よそに頼めば費用がかかるし焼ける回数も先方の都合で制限されます。
多い時は年に50回も陶器を焼いたという辻村さんには、
確かに致命的な問題でしょう。

一人で作業すれば、火の加減やふたを閉めたり火を消したりするタイミングも
すべて(窯主との相談なしに)自分で決められるのですから、
辻村さんにとっては一人でできることがもっとも大事なのです。

三枝子さんによれば、
常に「やりたいことに対して前のめり」で「つんのめってる状態」。
次男で陶芸家の塊さんによれば
「普通の人じゃ理解できないくらいにせっかち」かつ「すべてにおいて前しか見てない」
という辻村さんですから、
誰かと協力しようにも相手を置いて行ってしまうのかもしれません。

そう考えると、家を作っていた時から一緒にいるパートナーの三枝子さんは
凄いとしか言いようがありません。
辻村さんの器は、三枝子さんが優先的に手に入れることになっているんだそうです。


志野茶碗《卯花墻》をめざして

2年間で4千個の試作品が

日本中のありとあらゆる焼き物を手掛けているかもしれない辻村さんは、
ここ2年ほどは志野焼の茶碗に没頭していました。
2年で作った数は、4千個以上だそうです。

志野焼は安土桃山時代に美濃(今の岐阜)で作られた陶器です。
焼いた時の縮みが少ない粘土で作った器に白い釉を厚くかけて焼かれ、
肌に細かい乾乳や小さな穴ができるのが特徴。
釉の少ない縁の部分などは火にあたって赤く発色することから「火色」と呼ばれ、
鑑賞ポイントのひとつになります。

辻村さんがめざしているのは、三井記念美術館が所蔵する志野茶碗(銘:卯花墻)。
日本でつくられた茶陶では2つしかない国宝の片割れです。
(もう一つはサンリツ服部美術館が所蔵する本阿弥光悦作の白楽茶碗。銘:不二山)
これに匹敵する茶碗を作りたい、というのが目標になりました。

良い茶碗は茶碗は形がきれいなだけでなく
「撫でまわして撫でまわして、1時間でも見ていられるような魅力がある」
という辻村さんですが、
2020年の時点では出来上がった茶碗で実際にお茶を点ててみて
「まだまだです」というコメントでした。

「執念」の完成

納得のいく志野茶碗が完成したのは、2022年5月のこと。
通常は一度しか焼かない志野焼を同じくらいの温度で二度焼きしたところ、
口縁にきれいな火色が現れたそうです。
この茶碗でお茶をごちそうになった小野さんによると、
とても「飲みやすい」茶碗なんだとか。

辻村さんの作陶は、とにかく作って焼いてみるの繰り返しです。
そんな前のめりの姿勢と、
「(工程よりも)結果が大事」
「電子レンジで(陶器が)焼けて、それが魅力的なものだったらそれはそれでいい」
と、常識にとらわれず新しい技法を試す発想で作りあげた茶碗について、
辻村さんは「理屈じゃない、執念みたいなもので出来てしもうた」と語りました。

「執念」の結果生み出された数十万の陶器を、
小野さんは古代の遺跡にたとえて「何百年か経った人が掘りだしたら…」と想像します。
辻村さんはこれからも、手が動く限りは作陶を続けるそうですから、
「これくらいの量を作った人はどこ探してもいない」と本人が認める陶の山も
遺跡になるころにはより立派なものになっているかもしれません。

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