日曜美術館「水木しげるの妖怪画」(2022.7.31)

妖怪に親しみ、妖怪を世に広めたパイオニアでもある
漫画家・水木しげるが亡くなってから、そろそろ7年になります。
日曜美術館では、水木作品に描かれた妖怪たちがどこから来たのか、
そしてどのように命を吹き込まれたのかを紹介しました。

2022年7月31日の日曜美術館
「水木しげるの妖怪画」

放送日時 7月31日(日) 午前9時~9時45分
再放送  8月7日(日) 午後8時~8時45分
放送局 NHK(Eテレ)
語り 柴田祐規子(NHKアナウンサー)
朗読 光岡湧太郎(俳優・声優)

『ゲゲゲの鬼太郎』で知られる漫画家、水木しげる(1922-2015)。もう一つの顔が、妖怪画家である。日本に古くから伝わる妖怪関連の文書を渉猟するとともに、晩年には世界各地へ妖怪探索の旅に出かけ、生涯に数多くの妖怪画を描いた。水木自身が体験したという妖怪もあるが、多くの妖怪画は、水木が精力的に行ってきた妖怪探究の成果である。今年は生誕100年の記念の年、水木しげるの魅力あふれる妖怪画を紹介する。(日曜美術館ホームページより)

出演
小松和彦 (国際日本文化研究センター名誉教授)
原口尚子 (水木しげるの長女)


水木しげると妖怪の出会い

幼少期 ― のんのんばあ時代

漫画家・水木しげるが幼少期を過ごした鳥取県境港市には、
代表作『ゲゲゲの鬼太郎』のキャラクターをはじめとする妖怪の銅像が並ぶ
「水木しげるロード」があります。
(終点は「水木しげる記念館」です)
妖怪の中には漫画に登場する人間キャラや水木しげる本人も紛れ込んでいて、
幼い水木しげる(本名は武良茂)少年と、
妖怪世界への扉を開いた「のんのんばあ」(本名は景山ふさ)の姿も。

水木は大阪で生まれたのですが、
生後間もなく母親とともに故郷の境港市に戻りました。
(のちに事業に失敗した父も合流)
このころ水木少年の家にお手伝いさんとして来ていたのんのんばあでした。
「のんのん」とは観音様のことで、信心深い老婆だから「のんのんばあ」なんだとか。
のんのんばあは、神仏に仕える拝み屋の奥さんだったそうです。
近所のお寺(正福寺)の本堂にあった地獄極楽絵の話や
べとべとさん、あかなめ、河赤子、白容裔(しろうねり)など様々な妖怪について
のんのんばあから聞かされたことは、
自伝的エッセイ『のんのんばあとオレ』(1990)にまとめられています。

ただし小松和彦さんによると、のんのんばあが語ったという話には
境町の伝承とは思えないものもあって、妖怪にたいする感度が高かった水木が
過去の体験を再構築している可能性もあるようです。
それほど妖怪感度の高い人だったからこそ、
あれほど多くの妖怪を形にして世に紹介することができたのかもしれません。

戦中・戦後 ― 紆余曲折を経て漫画家に

1941年に太平洋戦争が勃発。
翌年、20歳になった水木も徴兵検査を受け、乙種合格(補充兵役)となりました。
戦況の悪化によって21歳で招集されると、最初は鳥取の歩兵連隊へ、
そして前線基地のあるニューブリテン島のラバウルに配属され、
過酷な軍隊生活を送ります。
(上官のいじめなどもあったそうです)
この地でも何度か妖怪らしきものに遭遇し、あちらの世界に対する確信を強めたようです。

戦地で左腕を失った水木は傷病兵として後方のナマレに送られ、
そこで1945年のポツダム宣言受諾のニュースを聞きました。
日本に帰還したのは翌1946年。その後仕事を転々として
(このころ大家をしていたアパート「水木壮」が後にペンネームの元になります)
29歳で紙芝居作家としてデビュー。
テレビの普及で紙芝居が衰退すると貸本漫画家に転身し、
さらに43歳で少年漫画の週刊誌にデビューしました。
漫画家・水木しげるの誕生です。


水木しげるの妖怪採集 ― 妖怪画家・研究家として

妖怪画家・妖怪研究者でもあった水木しげるは、
漫画家としての仕事の合間に神田の古書店で妖怪に関する本を探して読み込み、
各地で伝承を集める「妖怪採集」をしていたそうです。

文献から生まれた妖怪たち

特に影響を受けたのが江戸時代の画家・鳥山石燕(1712-1788)の画集です。
日本各地の妖怪たちにはっきりとした姿を与えた石燕の絵に
「親友を得たような思い」だったという水木は
多くの妖怪を石燕にならって描きました。
ぬらりひょんなど「ゲゲゲの鬼太郎」に敵キャラクターとして登場する妖怪の多くは
石燕の「画図百鬼夜行」の出身です。

一方鬼太郎の味方になるキャラクターの多くは
民俗学者・柳田國男(1875-1962)の妖怪に関する著述を集めた
『妖怪談義』(1957)の生まれ。
鬼太郎・猫娘・鼠男などは水木しげるオリジナルのキャラクターですが、
砂かけ婆・子泣きじじい(児啼爺)・塗り壁・一反木綿などは
柳田の文章に水木が姿を与えたものでした。
私たちが伝統的な妖怪の姿だと思っている中には
かなり水木のデザインが入っているようです。

長女の尚子さんによると水木には
妖怪の絵は昔の人が感じたものを描いたもので、
その形は尊重しなければならないというポリシーがありました。
すでに誰かによって描かれている妖怪の姿はそのまま活かし、
背景・情景・妖怪に遭遇した人間などを設定することで、
見る人が妖怪にまつわる物語を思い浮かべるような効果を狙っていたそうです。

ほかにも竹原春泉斎『絵本百物語』から「小豆洗い」、
歌川国芳「相馬の古内裏」から「がしゃどくろ」、
葛飾北斎『百物語』から「提灯お岩」など、
様々な出典の妖怪が採取され、水木の作品に落とし込まれています。

妖怪採集の旅は世界へ

水木は妖怪の伝承を集めるために全国を巡り、
北は北海道のコロポックルから南は沖縄のキジムナーと、
日本中の妖怪を絵と文章で記録していました。
現在有名なものには、肥後(熊本)のアマビエがいます。

50代からは妖怪を求めて世界各地(およそ60か国)に足を運び、
土地の住人から妖怪について聞きとりをしていました。
1995年にパプワニューギニアを訪問した時の映像から、
マッキーを使って「グハ」という地元の妖怪を描く姿が紹介されています。

実は水木も「妖怪なんていないのではないか」と思ったことがあり、
それを「やはりいる」と思いなおすきっかけのひとつが
ニューギニアで見た「祭りの夜にやってくる森の霊」の姿だったそうです。

水木が妖怪を信じ続け描き続けたことで
妖怪文化が長い時間をかけて世の中に広まり、浸透し、
現在の日本人の多くが妖怪に親しんでいることを思うと、
精霊たちは日本文化の恩人(恩妖怪)だったかもしれません。


「水木しげるの妖怪 百鬼夜行展~お化けたちはこうして生まれた~」(東京・滋賀)

水木しげるの生誕100周年を記念して、
水木がどのように妖怪と付き合い、どのように妖怪たちを描いてきたかを紹介します。
100点以上の妖怪画のほかに、「画図百鬼夜行」や「妖怪談義」など
妖怪に関する資料や関連映像なども公開。
水木しげる生誕100周年記念公式サイト

東京会場(東京シティビュー)

東京都港区六本木6-10-1 六本木ヒルズ森タワー52階/東京シティビュー(屋内展望台)

2022年7月8日(金)~9月4日(日)

10時~22時 ※入場は閉館の1時間前まで

会期中無休

一般 2,200円
高校・大学生 1,600円
4歳~中学生 1,000円
シニア(65歳以上)1,900円
(※オンラインチケットは当日券より300円引き)

公式サイト

滋賀会場(佐川美術館)

滋賀県守山市水保町北川2891

2022年9月16日(金)~11月27日(日)

9時30分~17時 ※入館は閉館の30分前まで

料金未定

公式サイト