日曜美術館「ジュアン・ミロ 日本を夢見て」(2022.6.19)

小野さんと柴田さんが、
巨匠ジョアン・ミロの創作活動を「日本」をキーワードに回顧する
「ミロ展 ― 日本を夢みて」が開催中の愛知県美術館を訪れました。
案内してくれるのは主任学芸員の副田一穂さんです。
(名古屋展終了後、7月16日から富山県美術館へ巡回)

2022年6月19日の日曜美術館
「ジュアン・ミロ 日本を夢見て」

放送日時 6月19日(日) 午前9時~9時45分
再放送  6月26日(日) 午後8時~8時45分
放送局 NHK(Eテレ)
司会 小野正嗣(作家、早稲田大学教授) 柴田祐規子(NHKアナウンサー)

自由奔放な筆致や鮮やかで明るい色彩で知られる。スペイン巨匠、ジュアン・ミロ(1893-1983)。近年の研究で、実はミロが第二の故郷のように愛し、多大な影響を受けていた国が、この日本だったことがわかってきた。「一枚の草の葉には、一本の木や山と同じだけの魅力があることを、日本人のほかはこれほど神聖なことを見過ごしている」と若き日に語ったのミロ。ミロと日本の知られざる濃密な関係を見つめる。(日曜美術館ホームページより)

出演
副田一穂 (愛知県美術館主任学芸員)
冨永愛 (モデル)


画家ジョアン・ミロの出発点と日本

ミロが画家を目指すまで

ジョアン・ミロと言えば近現代の美術に大きな功績を残したスペインの巨匠ですが、
最初から画家の道に進んだわけではありませんでした。
17歳で日用品メーカーの経理に就職したミロは
勤め人の生活が合わなかったのか体を壊し、
バルセロナ郊外のモンテロッチ村で療養生活を送りました。
ミロが本格的に画家を目指したのはこの頃で、
モンテロッチ村での生活はその後の創作活動にも大きな影響を与えることになります。

画家になるために19歳でバルセロナの美術学校に入ったミロですが、
重要なカリキュラムのひとつだったデッサンが大の苦手だったそうです。
副島さんもミロのデッサンについて「ピカソと違って本当にうまくない」と言っています。
美術教師の父親に幼いころから英才教育を受けていたピカソと
10代の終わりから正式に学び始めたミロを比べるのは気の毒な気もしますが…
本人も「直線と曲線の違いもわからない」と泣き言をもらすくらい
上達しなかったと言いますから、本当に苦手だったようですね。

ミロにとって幸いだったのは、
アカデミック(デッサン重視)が美術の世界の主流ではなくなっていたこと、
そして美術学校で良い先生に出会えたことでしょう。
この先生から「目隠しをして触った感覚をもとに描く」という斬新な指導をうけて
優れた色彩センスを発揮するようになり、
また見た目にこだわらず本質の部分に触れて表現するスタイルを作って行きます。


ミロと日本の出会い

ミロが生まれたのは1893年のスペイン、カタルーニャ州のバルセロナ。
5年前にはバルセロナ万国博覧会(1888)が開かれ、
日本の美術や工芸が紹介されていました。
西洋美術になかった日本美術の色や形は新鮮に受け止められ、
ミロの時代には日本趣味がちょっとしたブームになっていました。
ミロの家の近所にも日本の美術品を輸入する店があり、
カタルーニャ語に翻訳された日本昔話も出版されていました。
(ミロの蔵書にも入っています)

《アンリク・クリストフル・リカルの肖像》(1917)の
背景に浮世絵がコラージュされているのは、
モデルになった本人(美術学校の友人)が浮世絵のコレクターだったから。
同じころの作品《シウラナ村》(1917)は
単純化された地形の表現や色使いに
歌川国虎の名所絵「近江八景 堅田落雁」の影響が見られるそうです。
(確かに、並べてみると地面の盛り上がり具合がそっくり!)

ミロは日本美術を熱心に学んでいたといいます。
日本美術やジャポニズムと接する機会が多く、
自然とポジティブな印象を育てていったのではないでしょうか。
カタルーニャの風土と対象の本質に触れようとするスタイル、
そこに日本美術の表現を取り入れて、ミロは新しい表現を模索します。


ミロ「らしい」絵の確立

パリとカタルーニャを往復

1919年、27歳の時パリに行き、
後にシュルレアリスムの創始者となるアンドレ・ブルトンや
美術家のマン・レイなど先進的な文化人たちと交流します。
パリにアトリエを借りて制作に打ち込む一方でカタルーニャへの愛着も失わず、
パリとモンロッチを行ったり来たりする生活をしていました。

モンロッチで描きはじめパリで完成した《農園》(1921-1922)は、
農村の風景を描いたもの。
同じジムに通うボクシング仲間でもあった作家のアーネスト・ヘミングウェイが
「スペインへ行ってその土地で感じるすべてと、スペインから遠く離れていて感じるすべてがある」
と絶賛したこの絵は、
その辺に置いてある道具から地面の石ころ、
木の葉の一枚一枚までが奇妙な存在感をはなっています。
(人間もいますがまったく目立っていません!)

柴田さんが「標本みたい」と表現した《花と蝶》(1922-23)もまた、
花瓶に生けられた植物の葉や周囲を飛んでいる蝶が
すべて正面向きの「絵になる」角度で細密に描かれ、
平面的であると同時に存在感たっぷり。
ここに見られる細部にこだわる姿勢には、
ヴィンセント・ファン・ゴッホ(1853-1890)が追求したジャポニズムの影響があるそうです。

パリで最先端の前衛を吸収し、モンロッチで疲れをいやし自分を見つめなおす。
これを繰り返しながら、ミロは自分の芸術を作り上げていきました。


シュルレアリスムへの参加とスペイン内戦

小野さんが「ミロになっちゃった」と表現したのは、
《絵画(パイプを吸う男)》(1925)。
カタルーニャの農民を描いた(と思われる)この絵は、
はっきりした色使いと言い、極端に単純化された形と言い、
いかにもミロらしい作品です。
今ではミロの定番とも思えるこの表現は、
パリで出会った仲間たちとの交流から生まれたものでした。
当時、フランスの文学者の間では日本の俳句を参考にして
余分なものを削ぎ落した表現が流行していたんだとか。

シュルレアリスムの一員として活躍するようになったミロ。
ところが祖国スペインでは、
1931年に農民や労働者を中心とする左派の共和国政府がすると、
地主やカトリック教会など右派が反発。
1936年に右派の支援をうけたフランシスコ・フランコ(1892-1975)が蜂起して、
スペイン内戦(1936-1939)が始まりました。

この時ミロは共和国政府を支援する切手《スペインを助けよ》(1937)をデザインし、
ファシスト陣営の対する反対を表明しています。
切手としては発行されませんでしたが、
雑誌『カイエ・ダール』12巻4-5号の付録として収録されました。

共和国政府の敗北後、ミロはフランスのノルマンディーに避難しました。
ところがフランスにもナチスが進行してきたことから、多くの仲間たちはアメリカへ。
ミロはスペインに帰ることを決断します。


絵筆による戦い

フランコ政権下のスペインで

ミロの作品にとても惹かれているというモデルの冨永愛さんは、
4人の怪物じみた人間と目玉らしき形を黒い線で描いた《人物たち》(1942)と、
その3年後に描かれた色鮮やかな
《ゴシック聖堂でオルガン演奏を聞いている踊り子》(1945)を見比べて
作品の中にある「目」に注目しました。
鳥のような小さい黒目が真ん中にあり「悪者っぽく見える」《人物たち》に比べて
黒目に動きがある《ゴシック聖堂で~》は「優しささえ感じる」といいます。

これらの作品が描かれたのは第2次世界大戦の真っ最中で、
ミロは妻の故郷であるパルマ・デ・マヨルカに隠棲していました。
知り合いもほとんどいない土地で、地元の聖堂のオルガンの音に心を奪われたことが
《ゴシック聖堂でオルガン演奏を聞く踊り子》を描くきっかけになったそうです。

フランコ政権の独裁は戦後も続きましたが、
フランコが死去した後王位に就いたフアン・カルロス1世のもとで
1983年に制定された新憲法によって、スペインは立憲君主国となりました。
ミロがパルマ・デ・マヨルカで亡くなったのは、さらに5年後の1983年です。


ミロの来日と瀧口修造との交友

1966年の秋、ミロは展覧会のために日本を訪れ、2週間ほど滞在しました。
この時、世界で初めてミロに関する単行本を出版した
詩人の瀧口修造(1903-1979)と会い、すっかり意気投合したそうです。
この時の出会いがきっかけで、瀧口の詩にミロが絵を添えた詩画集
『ミロの星とともに』(平凡社、1978)が出版されました。

瀧口は「反政府的である」という理由で前衛思想が危険視されていた時代に
シュルレアリスムに関する書物を出版し、
治安維持法違反の容疑で8か月間拘留されたこともあります。(1941年)
戦争や国という大きなものに押さえつけられながら、
自分の思想や芸術を追求し続けたもの同士、共感が生まれたのかもしれません。

ミロは1969年にも、大阪万国博覧会(1970)のガス・パビリオンを飾る
陶板壁画《無垢の笑い》を制作するために来日しています。
640枚の陶板を使い、縦5m×横12mとミロの作品の中でも最大級の作品となりました。
(さらに会場内のスロープにも壁画を描いています)

《無垢の笑い》は「あまりにも悲劇的」な世界情勢に対抗する
「純粋な笑い」として生み出されたといいます。
当時スペインはまだフランコ体制だったことを考えると、
(フランコが亡くなるのは大阪万博の5年後)
画中にひしめく色鮮やかなキャラクター(?)の眼差しにも
何かを訴えようとする強い意志を感じる気がします。
こちらの作品は万博後も保存され、大阪は中之島の国立国際美術館に所蔵されています。


「ミロ展 ― 日本を夢みて」(東京・愛知・富山に巡回)

ミロの作品のほか、アトリエを飾っていた日本の民芸品なども展示されています。
東京展(2022年2月11日~4月17日、Bunkamuraミュージアム)は終了しました。

公式サイト

愛知県美術館(開催中~7月3日まで)

愛知県名古屋市東区東桜1-13-2
(愛知芸術文化センター10階)

2022年4月29日(金)~7月3日(日)
10時~18時 (金曜は20時)
※入場は閉館の30分前まで

月曜休館

一般 1,800円
高校・大学生 1,200円
中学生以下 無料

富山県美術館(7月16日~9月4日まで)

富山県富山市木場町3-20

2022年7月16日(土)~9月4日(日)
9時30分〜18時
※入場は閉館の30分前まで

水曜休館・7月19日(火)休館

一般 1,100円(前売 850円)
大学生 550円
高校生以下無料