日曜美術館「“実物大” で迫る!レンブラント「夜警」」(2023.9.10)

17世紀のオランダで活躍した画家、レンブラント・ファン・レインの代表作《夜警》を、8Kの大画面で鑑賞。
野口哲哉さんと熊澤弘さんのトークにも引き込まれます。

2023年9月10日の日曜美術館
「“実物大” で迫る!レンブラント「夜警」」

放送日時 9月10日(日) 午前9時~9時45分
再放送  9月17日(日) 午後8時~8時45分
放送局 NHK(Eテレ)
司会 小野正嗣(作家、早稲田大学教授) 柴田祐規子(NHKアナウンサー)

オランダ・アムステルダム国立美術館が誇る西洋美術の最高峰、レンブラントの「夜警」。決して国外に出ることのない貴重な名画を8Kで撮影することが特別に許された。東京のスタジオの巨大スクリーンに実物大の「夜警」を浮かび上がらせ、その迫力と、驚異的な筆のマジックを体感。肉眼では決してとらえられえない一人ひとりの人物の表情や、衣服の模様、そして現実を超えた光の演出まで。驚きと感動の絵画体験をお届けする。(日曜美術館ホームページより)

ゲスト
野口哲哉 (美術家)
熊澤弘 (東京芸術大学大学美術館 准教授)

出演
リザヌ・ウェプラー (アムステルダム国立美術館 キュレーター)
エプコ・ルニア (レンブラントハウス博物館 シニア・キュレーター)
ペトリア・ノーブル (アムステルダム国立美術館 絵画保存部門責任者)


レンブラント・ファン・レインについて

若きレンブラントの挑戦

レンブラント(1606-1669)は、ネーデルラント共和国(現在のオランダ王国)の都市ライデンで、製粉業を営む家の9番目の子どもとして生まれました。
両親の希望で一度は法律家を目指して大学にも通っていましたが、数か月で退学。
15歳でイタリア留学経験をもつ歴史画家ヤーコプ・ファン・スヴァーネンブルフに弟子入りし、19歳で独立しました。

22歳の時に描いたリアリティのある《自画像》からは、レンブラントが既に高い技術を持っていたことがわかります。
また顔の部分にあえて影をかける陰影の使い方、髪の部分に使われている筆の絵でひっかいた硬質な線など、新しい技法を試みた様子もあって、若きレンブラントの意気込みも伝わってくるようです。

レンブラントはダヴィンチ、ラファエロなどルネサンスの画家に学んで技術を磨く一方、古典絵画では見られない実験的な画法も取り入れていきました。
レンブラントが偉大な画家になれた理由のひとつは、生涯持ち続けたチャレンジ精神でしょう。


レンブラントと妻サスキア

レンブラントは28歳で、親交のあった画商の姪サスキア・ファン・オイレンブルフと結婚しました。
サスキアは法律家や神学者を輩出した上流家庭の娘で、画商との商談や上流階級への売り込みなど、レンブラントのマネージャー役もこなしたそうです。

当時のオランダはスペインからの独立戦争に勝利して、貿易などで財産を築いた商人を中心に市民社会が形成された黄金時代を迎えていました。
そんな中、レンブラントとサスキアは2人でのし上がっていったのです。

《放蕩息子としてのレンブラントとサスキア》はレンブラント夫妻が聖書の一場面を演じている作品で、浪費家だった(絵の資料として美術品や骨董品をコレクションしていたそうです)レンブラントが自分を財産を使い果たした放蕩息子にたとえて描いたともいわれています。
当時の画家は注文主から依頼を請けて描くのが普通ですが、この作品は画家が奥さんと自分を描きたかったから描いたように見えます。
レンブラントのお惚気だったのかもしれません。

サスキアの助けもあって順調に出世したレンブラントが、人気画家としての絶頂期に描いたのが《夜警》でした。


レンブラントの《夜警》を8Kで見る

NHKでは以前にも、8Kカメラによる映像で名画を紹介してきました。
今回のターゲットはレンブラントの《夜警》。

野口哲哉さんは、兜・甲冑・羽根飾りなど細かい部分をしっかり取材して作品に反映させる誤魔化しのなさに注目。
(レンブラントの「浪費」も無駄にならなかったわけですね)
また非実在の人物でありながら一際目立つ、サスキアの面影がある少女とレンブラントの公私混同ぶり、副隊長の黄色いジャケットに隠されたアムステルダム市の紋章とそこに落ちる影の象徴するものなど、美術館では逆にできないほど寄った視点からの鑑賞がおこなわれました。

レンブラントの代表作にして転落のきっかけともいわれる《夜警》は、これまでも日曜美術館などで紹介されています。
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レンブラント・ファン・レイン《夜警》1642

アムステルダム国立美術館が所蔵するおよそ120万点の美術品の中でも別格とされているのが《夜警》(1642)です。
17世紀オランダの重要な画家の作品を集めた2階の「名誉の間」の奥に個別の部屋があり、調査・保存のためにガラスがかかっている状態でもひっきりなしに人が訪れる人気ぶり。
《夜警》は門外不出、この場所を離れることはない作品なんだそうです。

タテ3.8m×ヨコ4.5mの画面に描かれた人々は、それぞれが今にも動き出しそうに自然な様子です。
この人たちはアムステルダムの「火縄銃手組合」という市民警備隊で、真ん中で手を突き出し指示を出しているような黒い服の人物が隊長、隣の黄色い服の人物が副隊長です。

《夜警》の本来のタイトルは《フランス・バニング・ロック隊長とウェイレム・ファン・ライテンブルフ副隊長の市民隊》といい、実は絵の中の時間も夜ではないんだとか。
レンブラントが得意とする光と影の表現が、ちょっと行き過ぎてしまったのでしょうか?

《夜警》のように複数の人物の肖像画を一枚にまとめた絵を「集団肖像画」といいます。
16~17世紀のオランダでは王侯貴族やキリスト教会にかわって市民が芸術の発注者となりました。
集団肖像画はお金を出しあって注文する記念写真のようなもので、市民意識の強い当時のオランダでは特に流行したそうです。


レンブラントの《夜警》以後

《夜警》には30人以上の人物が描かれていますが、実際の依頼主は18人。
(依頼主の名前は画面上部にある楕円形の飾り枠の中に書かれています)
黄色いドレスを着た女の子、ヘルメットをかぶった男の子、足元に控える犬など、実際の誰かではない象徴的な存在も描き込まれ、多くの人物がひしめき合うことで画面の中は深い奥行きが生まれています。
また薄暗い画面にスポットライトのような部分的な光が差し込んで、ドラマチックな効果も。

ただしリアリティ・奥行き・ドラマチックな効果などを追究した結果、画面の中にはほとんど光が当たらない場所に追いやられた人や、前にいる人の陰に隠れてしまっている人がいて、一部の人にとっては不公平な仕上がりになっています。
(集団肖像画の費用は参加者による割り勘でした)
野口さんはこれを「クリエイターとしてはすごい」「炎上覚悟のチャレンジ」と評価する一方で「中心の2人以外は怒ったんだろうな」と想像していました。
実際に《夜警》以後のレンブラントは芸術性を追究しすぎるあまり注文主の要望を無視するのが問題になって、肖像画の注文は減ったそうです。
そしてこの頃、チューリップバブル(1636-1637)の崩壊や英蘭戦争(1652-1654)が重なってオランダの景気は悪化し、仕事もより少なくなりました。

レンブラントは、私生活でも「炎上からの転落」と言っても差し支えないような人生を歩んでいます。
まず《夜警》の制作中に愛妻サスキアが亡くなり、レンブラントと1歳の息子が遺されました。
幼い息子のために乳母を雇ったのですが、レンブラントはその乳母と愛人関係になります。
さらに数年後、今度は若い家政婦(後に2番目の妻)と関係を持ち、先に関係があった乳母から婚約不履行で訴えられて慰謝料を支払うことになります。
美術資料を買い漁る浪費癖もおさまりませんでした。
1656年、レンブラントは裁判所によって財産を差し押さえられています。
差し押さえられた中には、現在「レンブラントハウス博物館」として知られている邸宅も入っていました。


レンブラントの晩年

財産と自宅を失って貧民街に引っ越したレンブラントですが、制作意欲はまったく衰えず、逆により実験的な作品を多く残しています。
(絵画通はこの時期から晩年にかけてのレンブラントをより高く評価するんだとか)

55歳で描いた《1661年の自画像》は細密描写は見られず、より簡潔に荒々しい筆づかいで表現され、光と影の対比も柔らかくなっています。
さらに最晩年の作品《ユダヤの花嫁》(1665~69頃)になると、寄り添いあう男女の姿が確かな物質感をもって簡略化された背景から浮かび上がるように見えます。
筆跡どころか絵具のかたまりも確認できる荒い厚塗りで表現された人物は、今にも動き出しそうなリアリティで存在していました。

《ユダヤの花嫁》は旧約聖書のイサクとリベカを表した宗教画とも言われていますが、厚塗りやディテールの欠如など、当時の絵画の常識を外しています。
ラファエロやルーベンスといった王道の画家を踏まえた上で、あえて違った描き方を追究するレンブラントの姿勢は生涯変わらず、むしろ迫力を増していきました。
熊澤弘さんは作品の中で過去の巨匠に対する「当てつけに近い我の強さ」を発揮するレンブラントを「人間として付き合えるかどうかは別として」驚くべき人だと語っています。