日曜美術館「蔵出し!西洋絵画傑作15選(3)」時代を動かした歴史的絵画の競演(2020.07.19)

西洋美術傑作選も最終回。
印象派に影響を与えた世紀末の巨匠マネから20世紀を代表する天才ピカソまで、
19世紀後半から20世紀の歴史的傑作が登場します。
日本、西洋ときたからには、次回は「東洋美術傑作15選」と行きたいところです。

2020年7月19日の日曜美術館
「蔵出し!西洋絵画傑作15選(3)」

放送日時 7月19日(日) 午前9時~9時45分
再放送  7月26日(日) 午後8時~8時45分
放送局 NHK(Eテレ)
司会 小野正嗣(作家、早稲田大学教授) 柴田祐規子(NHKアナウンサー)

人間が生み出した名画中の名画「蔵出し!西洋絵画傑作15選」。第3回は近代絵画に革命を起こしたマネの「草上の昼食」から、ルノワール、ゴッホ、ムンク、そしてピカソまで。楽しくなければ絵画じゃない!ルノワール×池波正太郎。没入!ゴッホ×棟方志功×忌野清志郎。不安!ムンク×五木寛之。絵でしか描けないものがある!ピカソ×岡本太郎×北野武×大林宣彦。真実に迫る絵画とは何か?名画に贈る言葉。(日曜美術館ホームページより)

出演
イッセー尾形 (俳優)
ホンマタカシ (写真家)
池波正太郎 (作家)
棟方 志功 (版画家)
忌野清志郎 (ミュージシャン)
斎藤 環  (精神科医)
五木 寛之 (作家)
岡本 太郎 (芸術家)
北野 武  (タレント・映画監督)
大林 宣彦 (映画監督)


マネからピカソまで、近代美術史の大家が集結

西洋美術傑作選の最後を飾るのは、
《草上の昼食》《ムーラン・ド・ラ・ギャレットの舞踏会》
《ひまわり》《叫び》《ゲルニカ》の5作品です。

エドゥアール・マネ《草上の昼食》1862-1863

日曜美術館「マネは見た 都市生活者の秘密」2010
極上美の饗宴「シリーズ新オルセーの輝き(2) 門外不出の至宝の謎~マネ “草上の昼食”」2012 より

863年のサロン(官展)で散々な悪評をこうむったという、マネの代表作です。
盛装した男性2人と裸の女性という組み合わせ、
さらに女性が脱ぎ捨てた服も描き込まれていることから、
現実の女性を描いた「リアルで不謹慎なヌード」であると批判されたそうです。

従来の絵画では、ヌードとはヴィーナスやイヴなど神話の存在として描くものでした。
マネは従来の価値観をくつがえす革命的な絵を描こうとしたわけですが…
革命に弾圧はつきものという事でしょう。

イッセー尾形さんは小学校の図書室でこの絵を見た時に
他のヌードとは何かが違う「いけないものを見た」気がしたそうです。
その罪悪感はどうやら、絵の中で一番目立つ裸の女性が
こちらに投げかける視線にあるようで、現在の尾形さんは
「この女の人は裸であることが当然すぎて、裸であることを知らないんじゃないか」
と考えています。
当たり前のように裸でいる女性から目を逸らすと
「いけないもの」を見ていると認めることになる。だから目が逸らせない。
女性の視線はそんな自意識に働きかけてくるのです。

ホンマタカシさんも女性の視線を気にしつつ、全体の構図から分析します。
この絵はバラバラに描いた3つの絵画を合成したようなアンバランスさがあるそうです。
脱ぎ捨てた衣装とピクニックの食べ物からなる静物画、
盛装の男2人と裸の女1人というスキャンダラスな人物画、
森の奥で水浴びをする神話の登場人物のような女性の絵。
見れば見るほど違和感が気になって「綺麗な絵だな」と流すことを許しません。
「見る持続力」が強いこの作品を、ホンマさんは
「この一枚の絵で推理小説とか書けそう」だと言います。

ピエール=オーギュスト・ルノワール《ムーラン・ド・ラ・ギャレットの舞踏会》1876

日曜美術館「私とルノワール」1981 より

《ムーラン・ド・ラ・ギャレットの舞踏会》は
《草上の昼食》と同じオルセー美術館、しかもすぐ隣の部屋にあります。
着飾った人々が踊ったり喋ったりする上から木漏れ日がふりそそぐ、休日のひと時。
幸福の画家と呼ばれたルノワールは
「絵画は楽しいものでなければならない」と言ったそうです。
その言葉のとおり、絵の中の人々は誰もが楽しくてたまらない様子です。

ただし、ルノワールはこうも言っています。

私にとってタブロー(絵画)とは愛らしく、楽しく、美しいものでなければならない
人生にはうんざりするものがあまりに多いから

この言葉とともに作品を振りかえると、
人々の笑顔やキラキラした光がただ綺麗なだけでなく
深みをもったものに見えてくるような気がします。

若いころはゴッホやドラクロワを好んだという池波正太郎さんも
年を取ってからルノワールの魅力に目覚めたそうです。
「生まれたからには、毎日つまらなく日にちを送っていることは本当につまらない」
という池波さん。
「死ぬ時はあっという間に来ちゃうからね」と付け加えるところも、
ルノワールの哲学に通じるものがあります。

晩年のルノワールは重度のリウマチを患い、車椅子の生活でした。
動かない指に包帯で絵筆を括りつけ、美しい女性の姿を描き続けたそうです。
けれども、そうやって絵を描くルノワールの姿はどこか楽しげで、
スタジオの小野さんも「決して不幸せには見えないですよね」「楽しそう」だと言います。

最晩年に描かれた傑作《浴女たち(ニンフ)》(1818-1819)も
こういった中で生み出された作品です。

フィンセント・ファン・ゴッホ《ひまわり》1888-1889

「~版画まんだら~棟方志功の世界」1970
迷宮美術館スペシャル「ぐるっと日本!西洋名画の旅」2004 より

棟方志功さんが「ゴッホになる」と決意したきっかけが《ひまわり》でした。
弘前(青森県)の洋画家小野忠明に見せてもらった
雑誌『白樺』の口絵にあった色刷りの《ひまわり》に
(これはロンドン・ナショナル・ギャラリーにある《ひまわり》のようです)
「わ(私)、ゴッホになる!」と思ったのだそうです。
「ゴッホが持っている何かが僕にもあった」と感じた棟方さんですが、
画家はうまく行かずに版画家の道を行くことになりました。
(棟方ファンにとっては幸いなことです)

小野さんいわく「ゴッホになれないかわりに棟方志功になった」棟方さんは、
亡くなる三年前に《ひまわり》をリスペクトして
黄色い花瓶に入ったヒマワリを黄色い背景に描いた
《太陽花 黄図》(1972)を制作しています。

作詞作曲を手がけた「君を呼んだのに」(RCサクセション、1992)にも
ゴッホを歌いこんでいる忌野清志郎さんは、
ピアノの譜面台にゴッホの画集を乗せていたほど
ゴッホの絵をいつも身近に置いていたにもかかわらず、
2004年まで本物のゴッホを見たことがなかったそうです。
ゴッホの名前にあやかり「便箋」を抱えて出かけたのは、
現在のSOMPO美術館。(2004年当時は「損保ジャパン東郷青児美術館」)
《ひまわり》を見て「真面目に絵に立ち向かっている感じ」「一生懸命没頭している」
と語る忌野さんがケースにかぶりつくようにして《ひまわり》を見ている様子も
また「一生懸命没頭している」ようでした。


エドヴァルド・ムンク《叫び》1893

日曜美術館「夢のムンク傑作10選」2013 より

オスロ国立美術館に所蔵されている《叫び》は、ピンク色の壁に飾られています。
わたしはオスロに行ったことがないため、この映像で初めて見たのですが、
ピンクの背景に飾られると夕焼けのような空がより鮮やかな
どこか優しい色彩に見えるのは意外な発見でした。

《叫び》はムンクが実際に体験した幻覚をもとにして描かれたものです。

雲が赤くなった。血のように。私は自然を貫く叫びのようなものを感じた。

発表当時は世間の理解を得られず
「こんな絵を描けるのは正気を失った人間だけだ」という落書きをされたほど。
(ムンクが作品の一部として残したため、今でも確認できます)
それでもムンクはこの作品に思い入れがあったらしく、
この油彩画を皮切りにパステル、リトグラフ、またパステル、テンペラと画材を変えて
1910年までに5点もの《叫び》を描いています。

斎藤環さんは精神科医の立場からムンクの心情を分析して、
足場がおぼつかない・どこに重心を置いて良いかわからないような危うい構図は、
理性と狂気のバランスがギリギリのところで保たれている時の作品かもしれない、
といいます。

5歳で母を、13歳で姉を、どちらも結核で亡くしたムンクは、
幼いころから病と死への恐怖に取りつかれていました。
「不安と病がなければ、私は舵(かじ)を失った舟のようなものだ」
という言葉を残したムンクは、その恐怖心を表現の中で活かすことで
心のつり合いを取っていたのかもしれません

この時代、恐怖や不安に駆られていたのはムンクひとりではなかったようです。
五木寛之さんによると、
ヨーロッパはキリスト教文化を中心とする宗教を土台とし、
その上に科学が乗って発展してきた歴史があります。
ところが近代になると科学が一方的に異様なほど発達し、
宗教と科学のバランスが取れなくなっていきました。
世界中の人たちが、自分たちが心なき病んだ時代に生きているという
不安を抱いていた1800年代末期に生まれた子の絵画は
「画家の勝手な、芸術家的な幻想を描いたのではなくて」
時代そのものの不安を象徴していると樹さんは言います。
「我々が心に不安を抱き続ける限り」ムンクは関心の対象であり続けるだろう、とも。

パブロ・ピカソ《ゲルニカ》1937

日曜美術館「私とピカソ 岡本太郎」1980
日曜美術館「ピカソ×北野武」2017
最後の講義 大林宣彦(完全版)2018 より

1937年、スペインのゲルニカを襲った無差別爆撃の知らせを聞いたピカソは、
ひと月ほどでこの縦349cm×横777cmの大作を描き上げたそうです。
巨大な画面いっぱいに描かれる子どもの落書きのような惨劇は
決して綺麗なものではないにもかかわらず、見るものに強い印象を与えます。

岡本太郎さんはこの絵を「綺麗じゃないからこそ美しい」と評しています。
型に嵌まった心地よいものが「綺麗」だとすると、
「美しい」は禍々しさを秘めたもの。
(岡本さんは「醜悪美」という言葉を紹介しています)
不安や恐れを与える《ゲルニカ》は、だからこそ美しいのです。

この作品は単なる抗議の絵ではなく「宗教的だよね」と言うのは北野武さん。

善悪の問題とか苦しみとか、楽しみとか悲しみとか、人間社会の愚かさとか、生きもののはかなさとか、みんなこう入れたような、達観したような絵になってる

残酷さや悲惨さといった負の側面ばかりではない、
人間という生きものの在りのまま、
そのものの姿が描かれているという指摘は目から鱗でした。

大林宣彦さんは《ゲルニカ》が写真のようなリアルな絵画だったら
衝撃的ではあるけれど「もう見たくない」「忘れたい」「なかったことにしたい」
という反発を生み出したにちがいないと指摘しています。

ましてや外国の日本人にとっては、遠い国のゲルニカが焼けちゃったなんて関係ないですよ

子どものような描き方は、世界中に「戦争嫌だ」という
ごく素直なメッセージを伝えるためのピカソのフィロソフィーであったと言います。
《ゲルニカ》に描かれた人物から、
リアルではなくてもリアル以上に「誠を伝える」描き方を
「横顔に目が2つある」と表現した大林さんは、
自身の映画でも「シネマ・ゲルニカ」を標榜していました。

ありのまま描くと直視できなくなるような現実でも、
芸術という迂回路を通すことで真実に到達することができるこの構造を、
スタジオの小野さんは芸術が持つ本質的な役割であると語っていました。