ぶらぶら美術・博物館 山田五郎さんが選ぶ「もう絶対、日本に来ない名画」展(2020.07.14)

夢の特別展・第4弾のプロデューサーは、おなじみ山田五郎さん。
移動の難しい今だからこそ、現地に行かないとみられない、
この先日本に来ることもないであろう世界の名画を紹介します。

目次

2020年7月14日のぶらぶら美術・博物館
ぶらぶらプロデュース!夢の特別展④
~世界の美術館を旅しよう!山田五郎「もう絶対、日本に来ない名画」展~

放送日時 7月14日(火) 午後8時~9時

放送局 日本テレビ(BS日テレ)

出演者
山田五郎 (評論家)
小木博明 (お笑いコンビ・おぎやはぎ ボケ)
矢作兼 (お笑いコンビ・おぎやはぎ ツッコミ)
高橋マリ子 (モデル・女優)

ぶらぶらプロデュース!夢の特別展・第4弾は、満を持してお送りする山田五郎プレゼンの「もう絶対、日本に来ない名画」展!
日本には毎年、世界中から名画がはるばるやって来る、世界的にもすばらしい環境ですが、本当に見たいクラシック、オールドマスターの名作は来日しません。素材が板ゆえに傷みやすい、そもそも「壁画」「天井画」である、美術館の珠玉の作品で門外不出…などなど、さまざまな理由で来日不可能な名作が山ほどあるのです。そこで今回は、それらを集めて五郎さんがスペシャル解説してくれる企画です。
レオナルド・ダ・ヴィンチ「モナ・リザ」、ミケランジェロ「最後の審判」、ヤン・ファン・エイク「ヘントの祭壇画」、デューラー「1500年の自画像」、レンブラント「夜警」…などなど、誰もが知る傑作だらけ!これらの名画は、なぜ、どのようにして生まれたのか?時代背景や最新の研究結果を盛り込んだ、山田五郎さんならではのユニークな深堀り解説で、時代順に名作の魅力をひもといていくと、生き生きとした西洋絵画史も見えてくる!
海外旅行が難しいご時世ですが、世界の美術館へバーチャル旅!ぜひ、ご一緒に。(ぶらぶら美術館ホームページより)



「知っているけど見たことはない」西洋美術のマスターピースたち

絵画に興味がある人なら間違いなく知っている、
しかし実物を見た人は少ない…そんな傑作たちが集合しました。

サンドロ・ボッティチェリ《春(プリマヴェーラ)》1480
(イタリア、ウフィツィ美術館)

ルネサンスはギリシャ・ローマの「古典芸術の復興」と言われています。
けれども山田さんに言わせれば、ルネサンスとは
「ギリシャ・ローマ文化」と「キリスト教文化」の融合。
そのことを分かりやすく示しているのが
ルネサンスの絶頂期に活躍したボッティチェリの《春》なのだそうです。

絵の中にはクピドを従えたヴィーナス、
三美神(美を象徴する3人の女神。メンバーについては諸説あり)、
西風の神ゼフィロス・木の妖精クロリス・花の女神フローラ
(春風が吹いて木を揺らし、花を咲かせることを意味しているそうです)など
キリスト教以前の神話の神々や妖精が描かれています。

ところが、絵の中心にいるヴィーナスはあまりヴィーナスらしく見えません。
白い衣装の上に赤と青のショールをつけている姿は、まるで聖母マリア。
(赤と青は神の慈愛と天の真実をあらわし、聖母の色とされています)
よく見るとお腹が膨らんでおり、神の子を身ごもっている様子にも見えるのです。

山田さんの考えでは、ルネサンスとは古典そのものが復興されたというよりも
「ギリシャ・ローマ的な人体表現がキリスト教的な世界観の元に復興された」
というのが正確なようです。
実際、ルネサンスの絵画はほとんどがキリスト教の宗教画なんだとか…

レオナルド・ダ・ヴィンチ《モナ・リザ》1503-06
(フランス、ルーヴル美術館)

ボッティチェリと同時期に活躍した
アンドレア・デル・ヴェロッキオの工房で修行を積んだのが、
いまやルネサンスの代名詞たるレオナルド・ダ・ヴィンチです。
巨匠ボッティチェリがトップに立っていたために、
独立したばかりのレオナルドは世に出ることができず
ボッティチェリの悪口を書き残しているそうです。

とはいえレオナルドがなかなか大成しなかった理由は、
ボッティチェリの存在よりも
本人の過剰なアーティスト気質だったようです。
完璧主義なので作業に時間をかける反面、飽きっぽくて途中で投げ出してしまう。
納期を守らないどころか納品をしない。これでは顧客も納得しないわけです。
ボッティチェリの《東方三博士の礼拝》に対抗して制作した
新しい《東方三博士の礼拝》の図を、下絵だけ描いて放置したこともあるそうで…
(中断されたのはレオナルドが拠点をミラノに移したからでもあります)

とはいえアーティスト気質も悪いことばかりではなく、
そのおかげで生まれた世界的な傑作が《モナ・リザ》です。
フィレンツェの商人の奥さんだった
リザ・デル・ジョコンドの肖像画として注文されたこの絵ですが、
レオナルドは納品せずに手を入れ続け、
フランスで没するまで手元から離しませんでした。
結果、特定のモデルがいる肖像画というよりも
「レオナルドが考える普遍的な人物像」が完成したわけです。
もっと長生きしていればさらに加筆していたかもしれず、
山田さんはこの絵は今でも「完成してないと思う」といいます。

およそ2µ(2/1000mm)という薄い絵の具の層を
多いところでは15層も重ねた「スフマート」技法は、
どれだけ拡大しても色の境目がまったくわかりません。
レオナルドの絵は絵の具の層の一つひとつがあまりにも薄いため
X線にかけると何も映らず、この特徴は同じくレオナルドが描いた
《糸巻の聖母》の真贋の判定にも利用されたそうです。

ミケランジェロ・ブオナローティ《最後の審判》1536-1541、《天地創造》1508-1512
(バチカン、システィーナ礼拝堂)

ローマ教皇の公邸であるバチカン宮殿の
システィーナ礼拝堂の壁と天井を飾る巨大な作品。
この2作品はつながっていて、《天地創造》が天井画、《最後の審判》は壁画です。
(実際に見にいった矢作さんによると、視覚的に「うるさかった」そうで…)

描きたいものを描きたいように描いたレオナルドに対して、
ミケランジェロはいわば頑固な職人気質。
弟子に任せるということが苦手で、この作品もひとりで描いたんだそうです。
(番組では「そういう人上司として駄目なんですよね」と言われてしまいました)

これらの絵は壁や天井に漆喰を塗り、生乾きのうちに顔料で描いて行く
「フレスコ画」の技法で描いていますから、
毎日漆喰を塗っては描き、また塗っては描くという作業をたった一人で、
あわせて10年近くくり返していたことになります。
もはや執念を感じる所業です。

天井画を描いた30代の頃はともかく
60代で壁画を完成させた頃には精魂尽き果てていたために、
《最後の審判》の人物たちは全体的なまとまりに欠けているそうです。
絵の中に描き込まれた自画像は
聖バルトロマイ(布教先で生きながら皮を剥がれた聖人)の皮。
「私はもう抜け殻です」と言わんばかりです。
それでも80過ぎまで壁画、ドーム設計と仕事をつづけたミケランジェロは、
間違いなく非凡な人でした。

ラファエロ・サンティ《小椅子の聖母》1514
(イタリア、ピッティ宮殿パラティーナ美術館)

サイズ的には持ち運び可能なので
もしかすると日本に来る可能性があるかもしれない(でも恐らく来ない)作品です。

ラファエロはルネサンスの三巨匠のうち
レオナルドのようなアーティストでもなく、
ミケランジェロのような超人的職人でもない、
もっともバランスの取れた人だそうです。
当時最大の絵画工房を経営し、多くの弟子を使って
注文された品を一定以上のレベルで生産し続けた「プロの絵描き」でした。

そのラファエロが良く描いたのがこのような聖母子像で、
「聖母子の画家」と呼ばれるくらい注文が殺到したそうです。
人気の秘密は、彼がオールドマスターの中では希少な
「子どもが可愛く描けるオールドマスター」だったことのようです。

ヨーロッパの伝統では、子どもの可愛らしさが必ずしも美点とされていませんでした。
特に幼子イエスや天使といった神々しい存在を描く時には
「愚かさ」と紙一重の「可愛さ」よりも「威厳」「賢さ」が喜ばれ、
古典絵画の子どもは「可愛くない」「なんだか不気味」といった
印象を与えてしまうことも多々あります。

ラファエロはこの「威厳」と「可愛い」のバランスをとることがうまかったそうで、
これもまたプロの絵描きのサービス精神を表しているような気もします。


ファン・エイク兄弟《ヘントの祭壇画》1432
(ベルギー、聖バーフ大聖堂)

山田さんいわく「ヒトラーがいの一番にかっぱらった絵」。
第二次世界大戦終結後に発見されてベルギーへ戻ることになります。
アメリカ軍による捜索作戦は「モニュメンツ・メン」のタイトルで映画になりました。
邦題は「ミケランジェロ・プロジェクト」ですが、
最後まで探されているのは《ヘントの祭壇画》なんだそうです。

ファン・エイク兄弟(特に弟のヤン)によって製作されたこの祭壇画は
別名を「神秘の子羊への礼拝」といいます。
フランドル絵画の最高傑作と言われるこの絵を見るためだけに
世界中からヘントを訪れる人が絶えないという作品です。

特に注目するべきは、描かれた人々の仕種・表情・身に付けるものまで
詳細に表現した細密さ。
向かって左パネルの上段には音楽を奏で讃美歌を謳う天使たちの姿がありますが、
この天使たちの口の形で歌っている讃美歌の特定ができるほどなんだそうです。

作者であるヤン・ファン・エイクは油絵の技法の刷新者とも言われており、
《ヘントの祭壇画》ももちろん油彩で描かれています。
そう言った理由でも、美術史上重要な作品と言えるでしょう。

以前、日曜美術館で紹介された時には
近年の修復で中央にいる子羊の顔が劇的に変化してしまったことが
取り上げられていましたが、今回はパネルのサイズが小さかったためか
その点に言及されなかったのが個人的には少し残念でした。

アルブレヒト・デューラー《1500年の自画像》1500
(ドイツ、アルテ・ピナコテーク)

16世紀の南ドイツでは贖宥状(免罪符とも)が大々的に販売されており、
言ってみればカトリック教会に搾取されていました。
(ミケランジェロがローマ法王のために描いた聖堂画も、資金源は贖宥状です)
これに抵抗してマルティン・ルターによる宗教改革が始まるのは1517年のこと。

この頃の画家としてはルターの友人であり
ドイツ語聖書の印刷やルターの肖像画の制作などで宗教改革に協力した、
ヴィッテンベルクのルーカス・クラナッハも有名ですが、
それよりもさらに高い評価を得ているのがアルブレヒト・デューラーです。

絵の中の人物は縮れた髪の毛を長く伸ばし、
正面を向き右手で何かをすくい上げるような動作をしています。
キリストの姿を描く時の定番の姿とポーズですが、絵の中に
「この絵は自分の28歳の姿を描いたものである」というラテン語の文字があるため、
デューラーの自画像であることが分かります。

この肖像画は、教会や聖職者に頼らず
個人がキリストと同じような生き方を実践するという
プロテスタントの考えを示しているそうで、
これから17年後にはじまる宗教改革の予兆を示しているようです。

ミケランジェロ・メリージ・ダ・カラヴァッジョ《聖マタイの召命》1600
(イタリア、サン・ルイジ・デイ・フランチェージ教会)

16~17世紀頃、カトリック教会でも教会の改革が始まります。
プロテスタントがキリストや聖母の姿を模した絵や像を否定したのに対して、
カトリックではこれらの聖像・聖画の視覚イメージを活用しました。

この時期に活躍したのがバロック美術の確立者であるカラヴァッジョで、
《聖マタイの召命》《聖マタイと天使》《聖マタイの殉教》三部作は、
劇的な光と影の表現を取り入れた写実的な画風が評判となり、
彼は一夜にしてイタリア一の有名画家になったといいます。

この劇的な絵画は信者にアピールしたいカトリック教会や
自分の偉大さを宣伝したい君主たちに好まれ、
明暗の対比がはっきりしたバロック美術は大いに発展しました。
カラヴァッジョの作品を研究し、模倣する人々を
「カラヴァジェスキ」と呼ぶそうです。

ピーテル・パウル・ルーベンス《マリー・ド・メディシスのマルセイユ上陸》1622-1625
(フランス、ルーヴル美術館)

バロック全盛期のイタリアで絵画を学んだルーベンスの作品です。
アンリ4世の王妃としてフランスに嫁いだマリー・ド・メディシスの依頼で、
彼女の生涯を描いた24連作の1枚。
ルーヴルには連作をすべて展示する「メディシスの間」があるそうで、
一度行ってみたいものです。

ルーベンスは実在の人物を神話に取り込んだ壮大な絵を得意とし、
ヨーロッパの王族に人気がありました。
この絵を見るとその理由もわかる気がします。

マリー・ド・メディシスの乗った船を海の精霊を従えた海神が守護し、
頭上では天使がラッパを吹いて祝福し、
ローマの兵士のような衣装をつけたフランス王国の擬人化が
恭しく出迎えるという特別扱いですから、
描かれる方はとても良い気持ちだったことでしょう。

レンブラント・ファン・レイン《夜警》1642
(オランダ、アムステルダム国立美術館)

17世紀のオランダでは、
貿易で財力をつけた市民をスポンサーとする絵画が描かれました。

オランダで最も重要な絵ともいわれるこの作品の
元のタイトルは「フランス・バニング・コック隊長の市警団」。
レンブラントの絶頂期に描かれた集団肖像画です。

集団肖像画と言えば、描かれる人たちがお金を出し合って依頼する
集合写真のようなものということは12日の日曜美術館でも紹介されました。
登場人物のうち明らかに一部のみが目立っているので
「端っこの方にいる人からクレームが来なかったのか」と
勝手に心配していたのですが…山田さんによると本当に
「これで割り勘は嫌だ」(全員が同じ金額を出していたとのこと)
「隊にいない人物がいる」(左手にいる少女。火縄銃組合の擬人化といわれる)
など、クレームがあったそうです。

とはいえドラマティックな画面構成は素晴らしく、
この絵はレンブラントの名声をより高めることになりました。
しかし丁度この頃、チューリップバブル(1636-1637)の崩壊、
英蘭戦争(1652-1654)などが重なってオランダ経済全体が下降していきました。

レンブラント本人の人生も、この時期から下り坂になっていきます。
不況のために仕事が減ったことに加えて
まず《夜警》の完成後、愛妻サスキアが亡くなりました。
その後、遺された子どもの世話をするために雇った乳母と愛人関係になり、
さらに数年後雇ったお手伝いさんとも男女の関係になって
(このお手伝いさんが実質的に2番目の妻になります)
先に関係があった元乳母から婚約不履行で訴えられて慰謝料を請求されることになります。
最終的に破産宣告して貧民街に移り住むことになったそうです。

オランダの歴史を象徴し、
さらにレンブラントという画家の個人史ではターニングポイントに位置するこの絵画、
確かに名画中の名画と言えるかもしれません。

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