日曜美術館「壁を越える〜パレスチナ・ガザの画家と上條陽子の挑戦〜」(2021.6.6)

イスラエルに軍事封鎖され、住民は自由に外に出ることができないガザ地区で
活動を続ける3人のアーティストと、
アートによる支援活動を続けている画家・上條陽子さんにスポットを当てます。

2021年6月6日の日曜美術館
「壁を越える〜パレスチナ・ガザの画家と上條陽子の挑戦〜」

放送日時 6月6日(日) 午前9時~9時45分
再放送  6月13日(日) 午後8時~8時45分
放送局 NHK(Eテレ)
語り 柴田祐規子(NHKアナウンサー)

84歳、パレスチナへの思いを胸に描き続ける画家上條陽子。死の絵から生きる絵の世界へ。イスラエルの爆撃により、多くの死者を出したパレスチナ・ガザ地区。高さ8メートルの壁に囲まれた自由のない世界で、不屈の精神で描き続ける画家たちの姿。爆撃の1週間前に撮影した映像。死と隣り合わせの中、いとうせいこうが衝撃を受けたパレスチナの絵とは?全国各地を回るパレスチナ画家の奇跡の展覧会。上條陽子、執念の新作に挑む!(日曜美術館ホームページより)

出演
上條陽子 (画家)
ソヘイル・サーレム (画家)
ラーエド・イッサ (画家)
ムハンマド・アル・ハワジリ (画家)
小林友以 (ダンサー)
いとうせいこう (作家)


パレスチナのガザ地区について

東地中海に面したシナイ半島のパレスチナ国ガザ地区は、
高さ8m、厚さ2mの壁に囲まれたおよそ360平方キロの土地の中で
200万人以上の人が暮らす地域です。
壁には6か所の検問所が設けられ(イスラエル側のエレツ検問所を除きほとんど封鎖)、
住民は自由に出入りすることができません。

1948年のイスラエル建国宣言、そして第一次中東戦争によって
70万人以上のパレスチナの人々が故郷を追われてガザに移住。
現在のガザに住んでいる人の多くはその時の難民と子孫だそうです。

1993年のオスロ合意と翌年のカイロ協定によって
ガザはヨルダン川西岸地区とともにパレスチナ自治区となりましたが、
イスラエル軍の厳しい統制は続いています。
2005年にガザは封鎖され、人や物の出入りが制限された状態です。
ヨルダン川西岸地区から切り離され、イスラエルとエジプトに囲まれた立地は
逃げ場がどこにも無いことから「屋根のない監獄」とも呼ばれています。

またガザを実効支配するハマスとイスラエルの戦闘も頻繁に行われており、
近くでは2021年5月にも空爆が行われ250人以上が死亡しました。


上條陽子とガザのアーティスト

上條陽子さん(1937~)は、
「ガザから出ると『出所』した気持ちになる」と言います。

上條さんは、1978年に《玄黄―兆》で女性初の安井賞(第21回)を受賞。
その後しばらく絵が描けない時期が続きましたが、
49歳での大病をきっかけに再び制作に取り組んだそうです。
奇抜な形に切り抜いた紙を組み合わせる「ペーパーワーク」作品は
このころから作るようになりました。

1999年11月に初めてパレスチナを訪れた上條さんは、
あまりにも不条理な状況に衝撃をうけ、
その悲劇を表現する作品を制作し
「パレスチナ難民支援の画家」として知られるようになります。
ガザのイメージを形にした《壁》や
結婚式で撃たれた花嫁の姿を象徴的に表現した《血の花嫁》は
ガザをテーマにした作品です。

2001年からはパレスチナ人難民キャンプで子どもの絵画指導を行い、
現在も交流は続いています。

ガザの作品を全国で展示

上條さんたちは現在、
ガザの画家たちが描いた作品の展覧会を日本各地で開催しています。
作品を送ってくれた3人は、いずれもガザで暮らす40代の男性アーティストでした。

2018年のクリスマスにガザから発送されたおよそ50枚の絵は、
キャンバスを枠から剥がして巻いた形で「絨毯」として到着。
到着後上條さんたちがあらためて枠に張り直しました。
絵画だと途中で没収されてしまう可能性があるため、
別の名前で送られてきたのだそうです。

ソヘイル・サーレム

上條さんが1999年の初訪問で知り合ったのが、20代のサーレムさんでした。
画家として活動するほか、
仲間たちと一緒にガザ初のギャラリー「エルティカ」を作った人でもあります。

2014年の空爆の後に制作された《Our Land》は、
薄い黄色を使った背景に、激しくうねる木炭の線で山を描いた作品。
サーレムさんは、このような黒い山のシリーズを繰り返し描いているそうです。
ガザにはないはずの山が連なる風景について
上條さんは、心の中の何かを山に託したのではないかと想像しています。

私が思ったのは
誰も戦争から逃れられないということでした
たとえ生き残ったとしても
戦争の後には何かが自分の中で壊れてしまう
大切な友達や兄弟や家族を失うかもしれない
その痛みは一生続くのです

2019年に取材でガザを訪れた作家のいとうせいこうさんによると、
この作品はガザというより、今はイスラエルの領土になっているテルアビブの風景。
ただ受け入れていたら自分が潰れてしまうような時に、
「かく」という行為において何事か別の次元のものに変える試みだといいます。

ラーエド・イッサ

上條さんによるとイッサさんは
「いつも手足の無いけがした子供とか大人ばかり描いていた」そうです。
ところが、イッサさんが展覧会のために送った絵はすべて色鮮やかな花の絵でした。
ガザにはそれほど花がないそうですが、
絵の中には鉢植えの花がたくさん並んでいます。

この花たちは、ガザの中心地にあるイッサさんの家の窓に並ぶ
サボテンなどの鉢植えをモデルにしたものだそうです。
2014年の空爆で家を破壊され、5年かけて生活を立て直したたイッサさんが
ここで絵を描けるようになったのはほんの2、3年前のことでした。

私たちパレスチナ人は サボテンのようなものです
水を我慢し 空腹を我慢し 封鎖を我慢する
けれど私たちにも生活があり 文化があり
人生を愛している 日常を送っている
それを日本の人たちに伝えたくて 作品を送りました

ムハンマド・アル・ハワジリ

動物好きで、自宅でもオカメインコなどの小鳥を40羽以上飼っている
ハワジリさんは、10年以上描いている動物のシリーズにも
明るい色をたくさん使っています。

ハワジリさんのお祖母さんは、1948年にガザに逃げ込んだ難民のひとりでした。
そんなお祖母さんの孫であるハワジリさんは、
自分の土地に家を建て、ロバやヤギなどの家畜とともに暮らしていた
かつてのパレスチナの思い出を絵にしています。

子供には大きくなっても記憶に残っている
思い出があります
私は子供の頃に動物たちと仲良くしていたことを
忘れずにいます
ガザには辛い現実があります
その現実から逃避しようとして
動物たちを描いています
描いているときは 楽しむことができます
私が鮮やかな色を使うのは
見る人に喜びをもたらしたいからです
私にとってアートとは
呼吸をするための肺のようなものなのです

2019年の来日とその後の作品

サーレムさんたち3人は、2019年2月に上條さんたちの招きで日本を訪れています。
ビザの取得に5か月、さらに40か所以上の検問を越えてようやく実現した訪日でした。
うまく行く可能性は2パーセント、しかもガザに帰れる保証はない状況でしたが
「そんなことがあること自体が問題提起」だと上條さんは考えました。

全国で講演を行い、メディアの取材にも積極的に対応して
ガザの現状を伝えるエネルギッシュな姿は、
上條さんの作品にも影響を与えたそうです。

上條さんは、3人の帰国直後に赤い輪が連なる《マグマ》を制作しました。
パレスチナの悲劇を追求した作品から一転して、
悲劇を吹き飛ばすほどの思いや自由を求める欲求の爆発を形にした作品です。

2021年に完成した《希望のガザ》は、
ガザの人々から感じた強い生命力を表現しようという試み。
ダンサーが踊る姿を描いたデッサンを切り抜き
着色して植物に変身させたパーツをガザの土地の形に並べた作品は、
国境・壁・検問所のない、自由なガザへの願いでもあります。

そしてガザに帰国したアーティストたちも、新しい作品を作っています。
イッサさんは、海岸で拾い集めた石に戦争で亡くなった人たちの肖像を描き、
ハワジリさんは、家庭で使うスパイスを絵の具に使って動物を描き、
サーレムさんは、ペットボトルを組み立てた小舟で海に乗り出す映像作品を制作。
画材が手に入らない中で工夫を重ね、表現することを続けています。

2021年5月10日にはじまった戦闘は、12日目に停戦を迎えました。
サーレムさんたち3人は無事だったそうです。


展覧会情報

「アートは壁を越えて パレスチナ・ガザの画家&上條陽子展」(アートホール東洲館)

サーレムさん、イッサさん、ハワジリさん、上條さんの作品のほか、
支援する全国のアーティストの皆さん54人の作品が展示されています。

北海道深川市1条9−1 アートホール東洲館

2021年6月1日(火)~30日(水)
(6月20日までは深川市民のみ入場可)

10時~18時 ※入場は閉館の30分前まで

月曜休館

アートホール東洲館ホームページ

衝動の表現者 上條陽子展(相模原市民ギャラリー)

相模原市にゆかりのある画家などを紹介するミニ展示

神奈川県相模原市中央区相模原1-1-3 セレオ相模原4階

2021年6月6日(日)~6月15日(火)

9時~17時

水曜休館

公式サイト

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