日曜美術館「現代アートはわからない?」(2023.6.11)

現在杜美術館で開催されている展覧会「ワールド・クラスルーム」では、54組のアーティストによる現代アートの作品およそ150点を、「国語」「社会」「哲学」「算数」「理科」「音楽」「体育」「総合」の8教科に分けて紹介します。
来館者からは「どういう意味なんだろう」「よく分からない」という反応もある現代アート。
謎めいた「世界を知る授業」を、尾上右近さんと光宗薫さんが受講しました。

2023年6月11日の日曜美術館
「現代アートはわからない?」

放送日時 6月11日(日) 午前9時~9時45分
再放送  6月18日(日) 午後8時~8時45分
放送局 NHK(Eテレ)
司会 小野正嗣(作家、早稲田大学教授) 柴田祐規子(NHKアナウンサー)

現代アートの楽しみ方って何?「コンセプチュアルアートの先駆者」ジョセフ・コス―スや「誰もがよりよい社会を作るための芸術家」であると語ったヨーゼフ・ボイスなど、現代アートのレジェンドの作品から、宮島達男や宮永愛子、そして今注目のアジアの若き作家の最新作まで。尾上右近と光宗薫がそれぞれの作品とじっくりと向かい合い、現代アートの面白さを体感します。(日曜美術館ホームページより)

出演
尾上右近 (歌舞伎役者)
光宗薫 (俳優、アーティスト)
片岡真実 (森美術館館長)
宮島達男 (現代美術家)
宮永愛子 (現代美術家)


現代アートを教科書に

森美術館館長の片岡真実さんによれば、この展覧会は「学校で習う科目ごとに現代アートを見てみたらどうなるか? と思って作った」そうです。
学校の科目は、世界を知るために必要な基礎を習得するもの。
その延長線上には最先端の学問があり、研究者たちはまだ誰も知らない未知の領域を明らかにしようとしています。
伝統や常識といった枠にとらわれて見えていないもの・知られていないものに光を当てようとする現代アートのあり方は、実は学問のそれと近いと言えるでしょう。
なじみ深い学校の教科を現代アートの入り口とし、そのアートを通して世界を広げていくこの展覧会は、アートの授業であると同時にアートによる授業なのです。

ジョセフ・コスース《1つと3つのシャベル》1965(国語)

尾上右近さんと光宗薫さんが最初に読み解くのは、会場の入り口にあるシャベルを使った作品。
壁に何の変哲もないシャベルが掛けられ、その左に同じシャベルの写真、右に辞書に書かれているシャベルの定義が貼られています。

作者のジョセフ・コスース(1945-)は、芸術の本質を見た目ではなくコンセプト(背景にある概念・思想)にあるとする「コンセプチュアル・アート」を提唱した人。
この展示は「シャベルとは何か?」「物の本質はどこにあるのか?」といった根源的な問いを形にしたもので、現代アートの基本であるコンセプチュアル・アートのあり方を分かりやすく提示する、現代アートの教科書的作品と言えます。

この作品を見た尾上さんは、作品を感じて話すこと自体が作品となるという、いわば「4つ目のシャベル説」を提唱しています。

森村泰昌《肖像(双子)》1989/《モデルヌ・オランピア 2018》2017-2018(社会)

エドゥアール・マネの《オランピア》(1863)は、神話の女神や精霊ではなく現実の女性のヌードを生々しく描き、古典が主流だった19世紀の画壇に衝撃を与えた問題作でした。
森村泰昌(1951-)による2つの作品は、名画の登場人物に成り代わって写真を撮る「セルフポートレート」の手法で《オランピア》を翻案したもの。
ポートレートの登場人物は全員森村本人です。
(光宗さんが驚いていましたが…おそらく初めて森村作品を見る人なら皆通る道です)

元の絵にはベッドに横たわる白人の女性(娼婦)と、花束を持つ黒人の女性(客からのプレゼントを運ぶ使用人)が登場します。
森村は構図はそのまま登場人物や小道具を変更し、さらに《モデルヌ・オランピア 2018》では登場人物を日本の芸者と白人男性に置き換えています。
マネは《オランピア》を通して当時の社会の暗部を描き、一大スキャンダルとなりましたが、森村は2つのオマージュ作品で、ジェンダーや人種についてさらに踏み込んだ主張をしているように見えます。
光宗さんが作品全体から「不穏な空気」を感じたのも無理はありません。


現代アートで社会を動かす

ヨーゼフ・ボイス《黒板》1984(社会)

小野さんと柴田さんは、何の変哲もない黒板に図形や文字が描き込まれたものの前にやってきました。
小野さんが「これはだから…何の作品ですか?」と困惑したこの作品は、ヨーゼフ・ボイス(1921-1986)が1984年に東京藝術大学でおこなった対話集会で使われた黒板です。

片岡館長によるとボイスが講義に使った黒板は「準作品」の扱いで世界中の美術館に保存されているんだとか。
全ての人がアーティストとして社会という彫刻を作る「社会彫刻」を提唱したボイスの思想はそれ自体がアートとなのかもしれません。
板書の内容は、古いアートや社会を代表する “west(西)” から違った可能性を持つ “ost(東)” への移行を図にしたもので、社会のあり方を示す「資本主義」「社会主義」の文字や、決まった繰り返しを意味する楽譜にバツがつけられています。

1984年の対話集会で司会を務めた宮島達男(当時藝大生)は、ボイスの後ろ姿から炎が立ち上るようなイメージを受けたことをはっきりと覚えているそうです。

アイ・ウェイウェイ《漢時代の壺を落とす》1995/2009(社会)

壺を落として割るまでを連続で撮影した三枚の写真。
これにタイトルをつけるなら? と尋ねられ、光宗さんは「ジコはジコのみにある」(事故と自己にかけて?)、尾上さんは「壺割りザンマイ」(三昧と三枚にかけて)と名付けました。
実際のタイトルは上の通りで、落とされている壺も本当に漢代のものです。
伝統的価値の破壊と新しい価値の創造を表現した作品ですが、文化財の破壊であるとの非難も受けました。

作者のアイ・ウェイウェイ(1957-)がこの作品を作った背景には、1966年の文化大革命による知識人の弾圧と文化財の破壊がありました。
2015年にドイツに移住し、現在はヨーロッパを拠点にしているアイは、権威や体制に対して一貫して批判的であり、社会運動家としても活動しています。


ヴァンディー・ラッタナ《「爆弾の池」シリーズ》2009(社会)

カンボジアの都市・自然・人々の暮らしなどを記録するヴァンディー・ラッタナ(1980-)の作品は、一見すると田園や森の中に池があるのどかな風景に見えます。
同じような丸い池が幾つもあることに疑問をもったラッタナが調べたところ、これらはベトナム戦争時の爆弾が破裂した跡に水が溜まってできたことがわかりました。
このようなアメリカ軍の絨毯爆撃による「爆弾の池」はカンボジアとベトナムの国境付近に2万個以上あるそうです。

爆弾の池の写真は自国の暗い歴史を振り返るものですが、悲劇を強調して注目を集めるものではなく、穏やかな日常の背景に辛い過去があることを指し示すようです。
小野さんは、悲惨さをクローズアップする伝え方が感情的な拒絶に繋がりやすいことに思いを馳せて、戦争の記憶を伝えて行く試みのひとつとしてラッタナのアートを評価しています。

イー・イラン《TIKAR/MEJA(マット/テーブル)》2022(社会)

「ものすごい健康的になりましたね?」と尾上さんを驚かせたのは、マレーシア出身のイー・イラン(1971-)が、ボルネオ島の女性たちと制作したテーブルクロス大の織物を一面に貼り付けた壁。
ポップな色合いのクロスには、それぞれテーブルのシルエットが白っぽく浮き上がっています。

マレーシアには16世紀以降およそ450年にわたってヨーロッパの植民地支配を受けた歴史があり、これらの織物は西洋文化の流入以前に各家庭で使われていた敷物です。
その上におり出されたテーブルは、もともとマレーシアには存在しなかった西洋由来の家具。
長年の植民地支配が日々の暮らしや生活スタイルを変えたことを示す展示なのですが、メッセージを意識しなくても一枚一枚がとてもお洒落で、セレクトショップに並んでいそうな雰囲気なのがまた面白い作品です。


現代アートで世界をあらわす

マリオ・メルツ《加速・夢・まぼろし》1972/1998(数学)

確立された価値観に逆らい、敢えて価値の低い素材を使う「アルテ・ポーヴェラ運動」を代表するマリオ・メルツ(1925-2003)によるこの作品は、無機的なものと有機的なものが融合した不思議な世界です。
壁面を走っているかのように展示されているバイクの後ろに、ネオンサインの数字が点々と並び、規則的に増殖しています。
人工的で無機質な存在の集まりのようですが、よく見るとバイクのハンドル部分は大型動物の角になっていて、数字は植物の花の数や開く順などに関係し無限に増殖するフィボナッチ数。
ネオンのフィボナッチ数は、メルツが好んだ表現だったそうです。

小野さんと柴田さんは、不変の真理である数列と、動物から機械への進化という変化に、何らかのメッセージを読み取ったようですが…正解はあるのでしょうか?

宮島達男《Innumerable Life / Buddha CCIƆƆ-01》2018(哲学)

ヨーゼフ・ボイスのエピソードでも登場した宮島達男(1957-)は、デジタルカウンターを使ったインスタレーションで知られています。
今回展示された《Innumerable Life / Buddha CCIƆƆ-01》は、無数の赤い数字が速度もタイミングもバラバラに9から1へのカウントダウンを繰り返すもの。
この作品から尾上さんは細胞を、光宗さんも人間に関する何かを想像しました。

作者によれば法華経の中にある一説を形にしたものですが、それはあくまでも創作の動機であり、実際に見た人が何を考えるかは自由だそうです。


ヤン・ヘギュ《ソニック・ハイブリッド ― デュアル・エナジー》2023(総合)

作者のヤン・ヘギュ(1971-)が「地球のエネルギー循環」を意識したと言うこのインスタレーションは、今回の展覧会のために展示室の空間全体を使って作られました。
壁には不思議な壁画が描かれ、奇妙なオブジェが立ち並ぶ空間は、なんだかサイケデリックな遊園地のよう。
さまざまなモチーフが融合する中には、動いたり音を出したりする仕掛けもあります。

地球上のエネルギーが皆どこかで関わり合っているように、教育の科目も実はそれぞれ独立したものではなく、すべてが絡み合っている。
この展覧会が「美術」を他8つの科目に絡めているように、現代のわたしたちはある科目のの問題を考えるために別の科目の知識が必要になることがよくあります。
この展示は世界のあり方を表すと同時に、これから必要とされるだろう「より包括的な思考」を促すものでもあるようです。

宮永愛子《Root of Steps》2023(理科)

透明な箱の中に入っているのは、半透明な白い靴が片方だけ。
革靴・パンプス・草履などそれぞれ違った靴に「コレクター」「恋人」「僧侶」などの名札がついています。
これらはすべて六本木にかかわりのある実在の人物が履いていたものが元で、彫刻の素材は防虫剤でおなじみのナフタリン。
ナフタリンは常温に置いておくと個体から気体、気体から結晶へと変化していくので、靴の形はどんどん失われていき、結晶として箱の中にたまっていきます。

作者の宮永愛子(1974-)は元々このタイプの彫刻を覆いなしで普通に展示して消えるに任せていたそうです。
たまたまカバーをしていた次の日カバーの中に結晶ができていて、作品が「消える」のではなく「変わりながらあり続ける」のだと気が付いたのが、大きな転換になりました。

美術品を現状のまま保存するのも大切ですが、作品のテーマを伝えることも現代アートのあり方のひとつ。
今この時しか見ることの出来ない彫刻の姿は、見る人に「アートとは何か」という問を投げかけてくるようです。


「ワールド・クラスルーム:現代アートの国語・算数・理科・社会」(森美術館開館20周年記念展)

東京都港区六本木6丁目10-1 六本木ヒルズ森タワー53階

2023年4月19日(水)~9月24日(日)

10時~22時 ※入場は閉館の30分前まで

会期中無休

平日の入場料
一般 2,000円(1,800円)
高校・大学生 1,400円(1,300円)
4歳~中学生 800円(700円)
65歳以上 1,700円(1,500円)
※( )内はオンラインチケット料金

土・日・休日の入場料
一般 2,200円(2,000円)
高校・大学生 1,500円(1,400円)
4歳~中学生 900円(800円)
65歳以上 1,900円(1,700円)
※( )内はオンラインチケット料金

公式ホームページ