2022年10月18日に始まった「国宝 東京国立博物館のすべて」が早くも登場。
今回はいつもより14分延長して、59分の特別編です。
ゲストも井浦新さんにヤマザキマリさんと、面白くなること請け合いのお2方です。
全てにおいて間違いない布陣にNHKの本気を感じざるをえません。
2022年10月23日の日曜美術館
「国宝 東京国立博物館のすべて」
放送日時 10月23日(日) 午前9時~9時59分
再放送 10月30日(日) 午後8時~8時59分
放送局 NHK(Eテレ)
司会 小野正嗣(作家、早稲田大学教授) 柴田祐規子(NHKアナウンサー)
今年創立150年の大きな節目を迎えた東京国立博物館。日本が世界に誇る美の殿堂で、この秋前代未聞の豪華な展覧会が開催されている。それは所蔵する国宝89件のすべてを展示するという、博物館の歴史の中でも初めての試み。絵画、書跡、工芸、考古そして刀剣。各ジャンルを代表する至宝が勢ぞろいする会場をめぐりながら、展覧会の見どころを紹介。8kの高精細映像で日本の美を堪能する。(日曜美術館ホームページ日曜美術館ホームページより)
ゲスト
井浦新 (俳優、デザイナー)
ヤマザキマリ (漫画家)
松嶋雅人 (東京国立博物館研究員)
佐藤寛介 (東京国立博物館研究員)
出演
土屋貴裕 (東京国立博物館研究員)
恵美千鶴子 (東京国立博物館研究員)
福島修 (東京国立博物館研究員)
国宝89点から ー トップを飾るのはあの屛風
長谷川等伯《松林図屛風》(安土桃山、16世紀) 10/18〜30
会場の最初に展示されるのは、
東京国立博物館の国宝の中でも抜群の知名度と人気を誇る《松林図屛風》。
井浦さんはこの国宝に出会うために展示される場所へ出向き、
結果「一番出会ってる国宝」だと言うほどです。
ただでさえ人が固まりやすい冒頭にこんな人気者を持ってきて大丈夫?
と心配になりますが、スペースは広めにとってあるように見えました。
松の香りや湿った空気が漂ってきそうな情景は
「いつまでも佇んでいたい」と思わせますが、ここはまだ入り口。
来年のお正月に期待しつつ、次の国宝へ進みます。
(《松林図屛風》は、毎年1月に総合文化展で展示されています)
久隅守景《納涼図屛風》(江戸、17世紀) 10/18〜11/13
粗末な小屋の夕顔棚の下、
小屋の住人らしい夫婦と幼い子供が月を見上げています。
農民の暮らしを理想化して描いたもので、注文主はおそらく武士。
戦の世が終わって庶民が平和に暮らせる世の中になったことを暗示する趣向です。
太くごつごつした線で男性を、細く柔らかい曲線で女性を描き、
風に揺れる夕顔の葉は滲んだ線で動きのある雰囲気に、と
さまざまな表現を使い分けながらも全てが違和感なくまとまっている所に
作者の力量を感じます。
国宝仏画に現れた平安時代の光と影
《孔雀明王像》(平安、12世紀) 10/18〜11/13
毒蛇を食べる孔雀を神格化した孔雀明王は、
病気の快癒や願い事の成就のご利益で信仰されています。
経典では「白い衣をまとい金色の孔雀に乗る」と書かれていますが、
こちらの仏画では沢山の色を使った華やかなお姿です。
衣の文様には細かい截金、装身具には金箔、
孔雀の羽は羽毛を截金で表現し、模様を金泥で描く、と
金を贅沢に使った表現などから、注文主は裕福な貴族と考えられます。
沖松健次郎さんによると、
貴族の財力を惜し気もなく注ぎ込んだであろう像は
「手の込んだものを作ることで幸せの原因を作っていく」という
切実な祈りの現れ。
手に鬼子母神を象徴する柘榴の実を持っているのも
安産や子宝を得て繁栄することを願ってのことです。
《地獄草子》と《餓鬼草子》(ともに平安、12世紀) 11/15〜12/11
現世の幸福を願う絵に対して、死後の地獄を描いた絵も存在します。
罪を犯した人が罰を受ける地獄を描いた《地獄草子》の世界では
太い線で赤々と描かれた炎が画面を覆い尽くしそうな勢いで燃え盛っています。
一方、貪欲な人は餓鬼に転生して終わりのない飢えにとらわれ、
生きている人間に害をなす存在になります。
《餓鬼草子》ではそんな餓鬼たちが
宴を楽しむ貴族たちや生まれたばかりの赤ん坊を狙う様子が描かれて、
楽しみや喜びが見えないものの手で奪われてしまう
理不尽を表しているようにも見えます。
土屋貴裕さんは、病の原因を知らなかった当時の人が
別の世界から見えない何かが手を伸ばしてくるおぞましさを形にしたものが、
ここに描かれた餓鬼だと言います。
不意にやってくる病、死後の世界といった見えない存在を形にしようとする試みは、
美しければ美しいほど切実な祈りがこもっています。
書跡と時代の空気
《賢愚経残巻(大聖武)》(奈良、8世紀) 10/18〜11/13
聖武天皇の直筆と伝えられる経典。
普通は1行に17文字を収める所、
大きく堂々とした字で1行に12字前後を並べる惜しみない紙の使いぶりは、
確かに帝王の大らかさが見えるような気がします。
内容は御釈迦様が賢者と愚者に喩えて説いた有難い教えなのですが、
仏典や漢文に詳しくない場合、内容の理解は難しいのではないでしょうか。
(わたしは「漢字が並んでるなあ」としか思えませんでした)
松嶋雅人さんも、初見の人は意味までは取れないだろうと予想して、
まずは文字そのものの迫力や、書いた人の思い入れを感じてほしいと語っています。
幸い経典の文字は現代の我々も親しんでいる楷書体ですし、
中でも《大聖武》は「もっとも整った楷書の手本」と言われるほど端正な字が特徴。
現代の人間にとっても、見どころは多いと思われます。
《古今和歌集(元永本)》(平安、12世紀) 通期、11/15以降場面変え
歌詠みなら必ず押さえておくべき必携の書・古今和歌集。
現存する最古の完全本(序から本文まで欠けがない)がこちらです。
この頃定着したひらがなを多用する流れるような書体は上の《大聖武》と好対照。
染色した紙に金銀を散らしたり、雲母刷りで柄を付けた華麗な料紙も見所です。
恵美千鶴子さんはこの作品について
平安という時代が生み出した物だと語っています。
和歌文化が成熟し、歌にふさわしい文字として漢字を崩したひらがなが生まれ、
また柔らかい書体を好む流行と、紙を装飾できる貴族のゆとりがありました。
《古今和歌集(元永本)》は、この時代に揃った全ての要素が組みあって
奇跡的に生み出された芸術品と言えます。
法隆寺献納宝物と文化の大移動
明治のはじめに神道の国教化を目指した神仏分離令が発せられ、
その結果(徳川の後ろ盾がある仏教勢力に押さえつけられた長年の恨みつらみもあって)
各地で仏教排斥運動(廃仏毀釈運動)が展開されました。
聖徳太子ゆかりの法隆寺は御堂や仏像の破壊こそ免れています。
それでも、収入源の寺領を新政府に取り上げられたことで経営が成り立たなくなり、
1876年に所蔵する宝物を皇室に献上し、その対価で苦しい時期を乗り切っています。
この時の「法隆寺献納宝物」300件あまりは
現在ほぼ全てが東京国立博物館の敷地内にある法隆寺宝物館で公開されています。
《竜首水瓶》(飛鳥、7世紀) 通期
上のような次第で普段は法隆寺宝物館で展示されていますが、
150年のイベントのために平成館にやってきました。
(特別展に展示されている法隆寺献納宝物は11件。すべて国宝です)
下膨れで首長の胴とそこに描かれたペガサスの図像はペルシア(現イラン)、
竜をかたどる持ち手と注ぎ口は中国に由来し、
中国で作られた物だと思われていたのですが、
近年は国産である可能性が高いとされています。
イランと中国の文化が日本まで伝わり
この地で一つの作品として結実したとすれば、
それは時空をこえた文化の大移動だと、井浦さんは考えます。
漆工における各時代の代表的作例
福島修さんによると、東京国立博物館が所蔵する蒔絵の国宝4件は
それぞれ日本の蒔絵の流れの中で重要な時代を代表する作品です。
会期の前半と後半に分かれて2つずつ展示されているため、
国宝展の間に全てを見るには最低2回行かなければなりません。
《片輪車蒔絵螺鈿手箱》(平安、12世紀) 11/15〜12/11
漆工の基本的な技法や古典モチーフが生まれた平安時代の作品。
金蒔絵で描かれた流水に、夜光貝の螺鈿と蒔絵で表された牛車の車輪が浸かっています。
これは極楽に咲くという「車輪のように大きな蓮華」を象徴した絵柄で、
古典模様のひとつとして継承されていくことになります。
本阿弥光悦《舟橋蒔絵硯箱》(江戸、17世紀) 10/18〜11/3
古典の再生が盛んになった江戸初期の作品。
極端に盛りあがった蓋には伝統的な金蒔絵で川に浮かぶ舟が現され、
鉛板の橋がそれを跨ぐように全体を横切る斬新なデザインです。
(海苔を巻いたおにぎりのようにも見えます)
その上には
「東路のさのの舟橋かけてのみ思いわたるを知る人ぞなき」
と「後撰和歌集」(古今和歌集に次ぐ2番めの勅撰和歌集)にある
参議等の歌が書かれているのですが、
蒔絵で表現されている「舟」「橋」は省略されています。
尾形光琳《八橋蒔絵螺鈿硯箱》(江戸、18世紀) 11/5〜12/11
古典再生の流れを継承し、さらに発展させた江戸中期の作品。
東京国立博物館のミュージアムショップには
こちらをもとにしたお菓子の缶があります。
描かれているのは伊勢物語第9段「東下り」の一場面。
主人公が三河国八橋(現在の愛知県知立市あたり)で
カキツバタの歌を詠んだ時の情景。
黒漆の地に金蒔絵でカキツバタの葉を、螺鈿で花を形作り、鉛板の八つ橋をかける、
光悦の影響を受けつつ新しい工夫を凝らしたデザインです。
考古資料に描かれた弥生時代
扁平紐式銅鐸(伝香川県出土、弥生、前2〜前1世紀) 通期
同時代の銅鐸の中では小ぶりな方ですが、形と保存状態の良さ、
そして表面に描かれた絵のために国宝指定されました。
時代がついたことで現在はいわゆる「青銅色」になっていますが、
作られた当時は黄金色だったはずです。
表と裏に6つずつ四角いマスを区切り、
その中には農作業(稲作)や狩猟の様子など、
当時の人びとを取り巻く環境が単純な線で描かれます。
中には高床式倉庫らしき建築物の姿も。
弥生人の世界観を閉じ込めたようなこの銅鐸が
何に使われたのかは諸説ありますが、
豊作を願う(または祝う)祭で使う楽器という説が有力だそうです。
刀剣の移り変わりと武士の美意識
国宝展の会場では
東京国立博物館が所蔵する国宝刀剣19振を集めた「刀剣の間」が設けられ、
全期間を通じて19振すべてが展示されています。
三条宗近《太刀 銘 三条(名物 三日月宗近)》(平安、10〜12世紀) 通期
日本の刀剣が直刀から反りのある太刀に移行した初期の一振。
初期の京都で活躍した三条宗近の代表作で、
手元の反りが強く切先に向かって細くなる形は平安時代後期の刀剣独特のものです。
刀身と目の高さを合わせるように見ると
刃文にそって小さな三日月が連なっているように見えるため、
三日月の名前で呼ばれるようになりました。
長船長光《太刀 銘 長光(大般若長光)》(鎌倉、13世紀) 通期
室町時代に銭600貫という破格の代付(当時は名刀でも50〜100貫)がされたことで
大般若経全600巻にちなんで大般若と呼ばれたこの太刀は、
備前(現在の岡山県)の長船派を興した光忠の子・長光の作。
長光は父親と同じく華やかな刃文を得意とし、当時活躍した武士に好まれました。
この頃の太刀は切先までの太さがあまり変わらず全体に緩やかな反りがあります。
刀身に彫られた溝(樋)は強度を保ったまま軽量化するためのもの。
先の三日月と比べると、戦いの道具として機能が追求されて行く過程が見えるようです。
相州正宗《刀 金象嵌銘 城和泉所持正宗磨上本阿》(鎌倉、14世紀) 通期
相模(現在の神奈川県)の刀工で、名刀の代名詞とも言うべき正宗の刀。
もっとも、作られた当時は太刀でした。
変化に富む複雑な刃文が正宗の作風を伝えています。
戦国時代以降、戦のスタイルが変化したことにともなって、
刀剣も徒歩の集団戦で扱いやすいように短めの打刀が主流になりました。
戦国時代の武将は同時代に打たれた刀よりも古い名刀を身につけることを好み
(名刀を持つことはステータスシンボルでした)
古い太刀を短く切り詰める「磨上」がよく行われました。
磨上の時は切っ先を残して根元の方(茎)を詰めるので、
無くなった銘の代わりに金で所有者・作者の名前を入れています。
東京国立博物館150年の歴史をたどる ー 博覧会から博物館へ
東京国立博物館の前身は、1872年に開催された湯島聖堂博覧会です。
(2022年はここから数えて150年目にあたります)
博物館の歴史を辿る第2部の最初に登場するのは、
この博覧会で一番人気だった名古屋城の金鯱(レプリカ)。
展示ケースも100年以上前の木製ケースをリフォームし、
在りし日の雰囲気を伝えます。
今見つかったら自衛隊案件 ー 上野戦争の砲弾(四斤山砲)(明治、19世紀)
1868年5月15日の上野戦争で、
新政府軍が撃った砲弾が木に突き刺さったまま発見されたもの。
佐藤寛介さんによると
「今見つかったら自衛隊が出動するのではないかと思うんですけど…」
とのことです。
旧幕府軍と新政府軍がぶつかったこの戦いから4か月後の9月8日に元号が明治に改められ、
江戸時代に幕が引かれました。
焼け野原になった上野は、やがて近代国家を象徴する文化の中心地となるのです。
明治時代の現代アート ー 《褐釉蟹貼付台付鉢》(1881)
1881年に上野公園で開催された第2回内国勧業博覧会に
「超絶技巧の陶工」として名高い初代宮川香山が出品したもの。
リアルな蟹が張り付いた鉢は、いわば明治時代の現代アートです。
この博覧会の会場となったレンガ造りの展示館(設計はジョサイア・コンドル)は
1882年に上野の博物館の本館となりました。
総合博物館時代の象徴 ー キリン剥製標本(1908)
開館当初の博物館は、歴史・美術に限らずあらゆる資料を収集対象にしていました。
1907年に日本にやってきた雌雄2頭のキリンを飼育公開した上野動物園も、
当時は博物館の一部門だったのです。
来場者の人気を集めたキリンたちですが、翌1908年に2頭とも死んでしまい、
剥製標本として展示されることになりました。
その後、1923年の関東大震災で博物館の本館が壊れた際、
剥製など自然科学の資料(天産資料)は東京博物館(現在の国立科学博物館)に譲られて、
博物館は歴史と美術の専門博物館になります。
最新のコレクションと国宝の未来
東京国立博物館の150年を振り返る特別展、
最後は現在から未来へ向けての試みが紹介されました。
《金剛力士立像》(平安、12世紀)
こちらは博物館に新しく加わったコレクション。
このたび修理が完了したため、特別展で初お披露目となりました。
未来の博物館を体験する8K3DCG
東京国立博物館とNHKが共同開発した装置です。
身近に触れる機会がない文化財ですが、
これに取り込まれている超高精細画像ならあらゆる角度から観察することが可能。
番組ではヤマザキさんが操作を体験し、
重要文化財《遮光器土偶》(青森県つがる市出土、縄文、前1000〜前400年)
の内側に残る製作所の指跡まで見えることを確認しました。
この装置は特別展の会期中、本館の総合文化展で体験できます。
「未来の博物館」
本館特別5室 10/18〜12/11(予約不要)
お見送りは「未来の国宝」 ー 菱川師宣《見返り美人図》(江戸、17世紀) 10/18〜11/13。11/15以降は複製を展示
国宝89件のほんの一部を駆け足で巡ってきたわけですが、それでも
「流れるように見て、既にフラフラです」(井浦さん)
「10日間くらいに分散して少しずつ見ていくのが一番理想的」(ヤマザキさん)
という感想が出てくるのですから、
国宝と150年の歴史が持つパワーは侮れません。
特別展の最後を飾るのは浮世絵の名品《見返り美人図》です。
実は国宝でも重要文化財でもない彼女ですが、
下手な国宝以上の知名度をもつ東京国立博物館のスターのひとり。
150周のイベントで「未来の国宝」のひとつにも選ばれています。
(《見返り美人図》についてはこちらをどうぞ《見返り美人図》についてはこちらをどうぞ)
そして何よりも、「前に進みながら後ろを振り返る」構図そのものが、
過去を振り返りつつ次の150年を目指して前進し続ける
東京国立博物館のあるべき姿と重なって、大トリに抜擢されたそうです。
東京国立博物館創立150年記念 特別展「国宝 東京国立博物館のすべて」
開催数日にして会期前半の枠が埋まっているほどの盛況ぶり。
チケットの受付は10月4日から始まっていたとはいえ、凄いスピードです。
後半の11月15日〜11月27日の予約は11月1日、
11月29日〜12月11日の予約は11月15日午前10時から受付開始です。
どうぞお忘れなく!
東京都台東区上野公園13-9
(東京国立博物館平成館特別展示室)
2022年10月18日(火)~12月11日(日)
9時30分~17時 ※入場は閉館の30分前まで
月曜休館
一般 2,000円
大学生 1,200円
高校生 900円
中学生以下 無料
※すべて日時指定予約制
11月15日〜11月27日の予約受付 11月1日午前10時より
11月29日〜12月11日の予約受付 11月15日午前10時より
公式サイト公式サイト