日曜美術館「遠い日の風景〜谷内六郎の世界〜」(2021.10.10)

谷内六郎さんは『週刊新潮』の創刊とともに表紙絵に抜擢され、
以来25年あまり、子どもの目から見た世界を形にしたような絵を描き続けました。
番組では表紙の原画とそこに添えられた「表紙の言葉」を
谷口さんの人生とリンクさせながら、光岡湧太郎さんの朗読で紹介します。
佐藤可士和さんと池井昌樹さんによる、お気に入りの紹介も必見。

2021年10月10日の日曜美術館
「遠い日の風景〜谷内六郎の世界〜」

放送日時 10月10日(日) 午前9時~9時45分
再放送  10月17日(日) 午後8時~8時45分
放送局 NHK(Eテレ)
語り 柴田祐規子(NHKアナウンサー)
朗読 光岡湧太郎(俳優・声優)

誰もが子供の頃に見たような郷愁あふれる風景を描き続けた画家、谷内六郎(1921~1981)。そのライフワークは、「週刊新潮」の表紙絵。昭和31年の創刊号から昭和56年に亡くなるまで描き続けた絵は、実に総数1300点以上に及び、昭和の日本人の多くに親しまれた。今年は谷内六郎の生誕100年。少年の感性を終生持ち続けた谷内の、懐かしく、ファンタジックで、時に怖い絵を、谷内自身の言葉とともに紹介していく。(日曜美術館ホームページより)

出演
池井 昌樹 (詩人)
佐藤可士和 (クリエイティブディレクター)
谷内 広美 (谷内六郎の長女)
立浪佐和子 (横須賀美術館学芸員)


谷内六郎さんと子どもの目で見る世界

大正10年に東京で生まれた谷内六郎さんは、
世田谷で過ごした自身の子ども時代を
「まばゆいばかりの緑の時代でありました」と語っています。

電車の終点からつなげて、道に線路を描き足していく男の子がいる《春の終点》、
火の見櫓の影に座って「展望台に乗っている気持になっている」《かげに乗る子》など
自由な想像の中で遊んでいるもの、
雪国の女の子が向かいの家の子と
紐に吊るした人形を行ったり来たりさせている《人形のリフト》や
洗濯枠のハサミ部分に髪の毛を挟んで床屋さんを真似た《パーマ屋さん》といった
ごっこ遊びの情景など、自由な発想で生み出される遊びの数々は、
谷口さんが外から見たものと実際に体験したものが
入り混じっているのでしょうか。

駒沢尋常高等小学校に通っていた谷内さんは、2年生のころから喘息を発症。
学校も休みがちになり、憂鬱なおもいで過ごすことになりました。
卒業後、すぐに町の「小さな小さな電球工場」で働きはじめますが、
発作のたびに仕事を休まなければならず、職場を転々としたそうです。
(独学で絵の勉強を始めたのはこの頃でした)

谷内さんの作品には、
子ども時代の心細さや恐怖を思い出させるようなものも多くみられます。

誰も見ていないはずの失敗を責めたてる《失敗》の幻影や、
眼鼻のない顔でよそ者をじろじろ見てくる
《迷った町の知らない子》の人や犬など、
子どもの心が生み出した悪意のある存在。
不安な気持ちが想像力をかき立てて、
道端に咲いているケイトウの花や焚火にあたっている人の影を
鬼や妖怪だと思ってしまう《帰り道》や《海坊主》。
日常のちょっとした違和感から架空の大事件を想像してしまう
《パトカーの光》や《犬が沢山吼える夜》など。
子供のころ、たしかにこんな気持ちになった…と、
懐かしくも恐ろしい思いが蘇ってくるようです。

佐藤可士和さんと『谷内六郎展覧会』

佐藤可士和さんは、美術大学を目指していたころ
文庫版の画集『谷内六郎展覧会』と出会いました。
最初の本はボロボロになるほど見て、現在の本は買い替えたものだそうです。
(それでも表紙に白い傷がついて、読み込んだ跡があるのですが)

《風邪熱の晩》

佐藤さんが「こういう体験を良くしたな」と感じた作品は、
熱を出している弟にお姉ちゃんが薬を持ってきてくれた場面です。
風邪をひいて寝ていると、
柱時計の「コッチコッチ」という音が妙に大きく聞こえたり、
部屋の柱や梁がぐにゃりと歪んだり…そんな幼少期の
「夢と現実を行ったり来たり」
「完全に夢の中じゃなくて、現実が夢になっていく」
感覚を描いていると感じたそうです。

《迷い子になった夢》

主人公は、薄暗くなった四つ辻で途方に暮れている少年。
猫の頭を持つ人間がこちらを振りかえり、
前に進もうとすれば道端の木の枝が手のように服を掴んできます。
この絵が蘇らせるのは、自身が夢の中で何度も経験した
「前に進もうと思っても引っかかって逃れられない」不安感。
子供の頃のビビッドな感覚に「バーっと戻してくれるから」
谷内さんの絵は感動するのだと、佐藤さんは思っています。


画家・谷内六郎のはじまり

谷内さんは戦中は軍の工場に徴用され、23歳で終戦を迎えました。
新聞や雑誌にマンガやイラストを発表しますが、
1950年に喘息が悪化して入院。
「薬り日記」と書かれたノートには
その日の体調、治療のために受けた注射の時間、薬の名前・量が記録されていて、
毎日何回もの注射が必要だった大変な闘病の様子がわかります。

体調の良い時はお兄さんが経営するろうけつ染めの工房「らくだ工房」で
働きながら漫画と絵に打ち込んでいた谷内さんは、
1955年に文藝春秋第一回漫画賞を受賞しました。
翌1956年に『週刊新潮』が創刊されると表紙絵を担当し、
以来26年近く、1335枚の絵を発表することになります。

この時期は丁度、日本の高度経済成長期と重なっており、
『週刊新潮』にも地方の若者の集団就職を描いた
《就職 島もテープふってる》や
始めて体験する高速道路から膨らませたイメージを形にしたような
《バンソコウ張るの早い》など、時代を写した作品が登場します。
(創刊号の表紙に見える「30円」の値段にも時代を感じます)

その一方で谷内さんは、《廃村の学校》では
過疎化が進み人がいなくなった村の分教場で枯葉たちが遊ぶ様子を、
《やまびこの住む場所》では山が切り崩されたことで住む場所を失い
トンネルの中に隠れ住んでいる山彦の姿を描くなど、
薄暗い側面も見逃しませんでした。

池井昌樹さんと『週刊新潮』の表紙

「1枚1枚表紙絵を切り抜いては、大学ノートに貼り付けて、夜な夜なそれに見とれるという生活をしていましたからね」
と話す池井昌樹さんは中学生時代、谷内さんの絵に
心を奪われたのがきっかけで詩を書き始めたといいます。

《電気飴》

空に浮かぶ男性が、綿飴の機械を動かすと雲が湧き出てきます。
ただ一本の線で描かれた男性の目はあまり多くを語りませんが、
池井さんは「怖いけれども懐かしい」と感じました。
それどころか、下に広がる畑や遠くに見える森、少しかしいだ電信柱…
そのすべてが、いつか「僕が見た風景」
「何でこの絵描きさんがそれを知ってるんだ?」と感じた時、
この絵は底なし沼のように誘ってくるのだそうです。

《工場にいた魚》

工場排水の溜まった池の中に、歯車や規格外の部品が沈んでいます。
これもまた、池井さん自身が実際に見たことがある風景。
大抵の人が「役に立たない記憶」として捨ててしまうような場面ですが、
谷内さんはそれを宝物のように取っておいて、このような形に再生します。
声を大にせず、囁くような声で教えてくれるものたちは
人が人であるために、一番大切なものだと池井さんは思っています。


谷内六郎さんと子どもたち

谷内さんは1958年に、人形作家の熊谷達子(みちこ)さんと結婚し
長女の広美さん、長男の太郎さんと、2人の子どもにも恵まれました。
古い写真にはオモチャの飛行機や電車に乗り込んで遊ぶ姿が残っていますが、
これらは全て谷内さんの手作りです。

広美さんによると、谷内さんは
「子供と遊ぶってことがアイデアにもつながり、楽しかった」んだそうです。
そんなお父さんの仕事を近くで見ながら育った広美さんは、
「父の絵の中で遊びながら育ってきたというかんじ」だと言います。
たとえば、お年寄りから「昔は蚊帳があって~」なんて話を聞いた時、
蚊帳の中の世界を描いた《月夜の蚊帳》のような
作品の中で「育ってきた」広美さんは、
実際には使ったこともないのに「そうでしたね」なんて答えてしまう。
「気がついたら、全部体験してしまっているんですね」という
広美さんの子ども時代は、普通の人なら3人分くらいの濃度がありそうです。

谷内さんは50代の頃から、静岡県掛川市にある
児童養護施設「ねむの木学園」の子どもたちとも交流を深めました。
(ねむの木学園は日本初の肢体不自由児養護施設として1968年に解説されました)
1977年に刊行された『ねむの木―谷内六郎詩画集』(あすか書房)には、
谷内さんが絵の指導をした生徒たちによる作品も掲載されています。
自分も病気で苦労をした谷内さんは、
同じような立場の子どもたちの助けになることが
「何より大切なことだと思っているのです」という言葉を残しています。

1981年1月、谷内六郎さんは59歳で亡くなりました。
最後となった『週刊新潮』の表紙絵は、
機織り機を操って空に虹をかける不思議な存在と、
それを見つけた子どもたちを描いた《虹を織る人》です。


横須賀美術館別館「谷内六郎館」

1975年、谷内さんは神奈川県の横須賀にアトリエをかまえ、
谷口さんが亡くなった後、残された膨大な作品群は
ご遺族によって横須賀市に寄贈されました。

横須賀美術館の別館「谷内六郎館」には
『週刊新潮』の表紙原画のほぼ全て(1300点あまり)が所蔵され、
学芸員の立浪佐和子さんによると、
展示替えをしながら毎回50点ほど展示しているそうです。
(キャプションには谷内さんの「表紙の言葉」も)

すべての原画を展示するのには26回以上の展示替えが必要になりますから、
訪ねるたびに新しい出会いがありそうですね。

(「谷内六郎館」は屋根と建具の改修工事で、2021年12月17日(金)まで休館中)

「生誕100年 谷内六郎展 いつまで見ててもつきない夢」

特別展「生誕100年 谷内六郎展 いつまで見ててもつきない夢」は
原画や印刷物を中心に、『週刊新潮』の表紙原画はもちろん、
10代で描いたスケッチから「第1回文藝春秋漫画賞」受賞作品など
デビュー前までの初期作品、挿絵や装丁を担当した本や
手製の玩具といった活動の全貌を展示しています。

横須賀美術館(神奈川県横須賀市鴨居 4-1)

2021年9月25日(土)~12月12日(日)

10時~18時 ※入場は閉館の30分前まで

毎月第1月曜日休館(祝日の場合は開館)
年始年末(12月29日~1月3日)休館

一般 380円
高・大・65歳以上 280円(220円)
中学生以下 無料、
横須賀市内在住または在学の高校生 無料
※身体障害者手帳・療育手帳・精神障害者保健福祉手帳の提示で本人と付添1名無料

公式サイト

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