今回のテーマはウクライナ。
いま厳しい状況に置かれているウクライナ共和国に対して
アートができることは少ないかもしれませんが、
歴史と文化から生まれた芸術を通してその土地に心を寄せることはできます。
ウクライナの地で生まれた芸術から、
紀元前スキタイの黄金の副葬品、
中世のキリスト教によって生み出された宗教芸術、
そして近現代のアーティストによる作品が紹介されました。
スタジオの花はウクライナ国旗を意識した黄色と青で、
ウクライナを象徴するヒマワリの花も組み込まれていました。
2022年4月17日の日曜美術館
「美は語る 激動のウクライナ」
放送日時 4月17日(日) 午前9時~9時45分
再放送 4月24日(日) 午後8時~8時45分
放送局 NHK(Eテレ)
司会 小野正嗣(作家、早稲田大学教授) 柴田祐規子(NHKアナウンサー)
2月に始まったロシアのウクライナ侵攻。戦争という極限状態が連日報道されるが、いったい私たちはウクライナの何を知っているのだろう? 日曜美術館では、NHKのアーカイブスを網羅。そこには紀元前の黄金のスキタイ文明に始まり、中世の華麗な大聖堂など、多様な民族が行き交い重なり合ってきたがゆえの独自な文化があった。激動の歴史を、その美を通して見つめる。(日曜美術館ホームページより)
ゲスト
鴻野わか菜 (早稲田大学教授)
青柳正規 (東京大学名誉教授)
出演
三浦清美 (早稲田大学文学部教授)
エミリア・カバコフ (アーティスト)
スキタイが残した黄金細工(紀元前)
ウクライナの土地は北部の森林地帯を除くおよそ9割が草原地帯となっています。
この草原に紀元前7世紀ごろ現れたのがイラン系のスキタイで、
その後500年以上にわたって西はウクライナから東はアルタイ周辺におよぶ
広い地域を支配下に置きました。
スキタイは文字を持たなかったために
自分たちの手で記録を残すことはありませんでしたが、
ギリシアの歴史家ヘロドトス(前5世紀)の文章には
勇猛な遊牧騎馬民族として記されています。
またスキタイの墳墓から発掘された副葬品を見ると、
黄金と動物の意匠が好まれていたようで、
アルタイ地域にある紀元前7世紀の墓からは
直径1ミリの金のビーズを織り込んだ布(死者が纏うもの)や
3ミリほどの金のイノシシ134個で飾られたネックレス、
角が生え変わることから再生のシンボルとされた鹿の装飾品などが出土しています。
スキタイが西に勢力を拡大すると、主にギリシア文化圏との交流で
美術品にも変化が現れました。
ウクライナ中・南部の平野は黒土(こくど)と呼ばれる腐食土に覆われ、
豊かな土は「ヨーロッパのパン篭」と呼ばれる穀倉地帯となりました。
スキタイもこの土地で実った穀物の交易で富を蓄積し、
紀元前4世紀ごろには、ギリシアの職人に精巧な金細工を注文していたようです。
ウクライナ東部で出土した紀元前4世紀の
ゴリュトス(弓と矢を一緒に収めるケース。腰のベルトに吊るして使う)には
空想上の動物であるグリフィンや神話の存在らしき人々が
いきいきと表現されていました。
スキタイが残した金細工のうちとくにすぐれた作品が、
ウクライナのドニエプロペトロウシク州で出土した
三日月形の胸飾り(紀元前4世紀)です。
直径30センチ、使われている金の重さは1キロ以上というこの胸飾りには、
ウマを喰いちぎるグリフィン、イノシシを襲うライオンといった弱肉強食の世界と、
毛皮の上着を作ったり、羊の乳を搾ったりといった遊牧生活の日常風景が、
唐草やうずまきの文様に囲まれて表現されています。
ウクライナ・ロシアの美術を研究している鴻野わか菜さんによると
近現代のウクライナの文化にもスキタイの影響は残っているそうです。
第1次世界大戦中は行き詰まったヨーロッパ文明に対するシンボルとして
「スキタイ人」を名乗る文学者集団もいたんだとか。
キエフ・ルーシの文化と東西の交流(中世)
9世紀後半、北はバルト海から南は黒海の手前までの土地を支配した
キエフ・ルーシ(キエフ大公国)は、
現在のウクライナ、ベラルーシ、ロシアの一部を含む、
中世ヨーロッパ最大の国土を持つ国でした。
正教会がもたらした芸術
もとは各地の諸侯をまとめる形で成立したこの国を纏めるために、
キエフ大公は南方のビザンツ帝国からキリスト教(正教)を導入し、
国教に採用しました。
正教の宗教儀礼が美しかったことが決め手だったと言われているそうです。
確かに首都キーウの世界遺産・聖ソフィア大聖堂は
緑や金の丸屋根の塔がならぶ美しい建物で、
内側も巨大なガラスモザイクの天井画やフレスコ画に埋め尽くされて
天上世界を再現するかのような絢爛たる様子です。
聖ソフィア大聖堂はキーウのほかポラツクとノブゴロドに建てられ、
それぞれが正教の布教を統括することをビザンツ帝国から直接認められていました。
ポラツクやノブゴロドには「キーウと対等である」という自覚があり、
キエフ・ルーシが中央集権とは異なる、ゆるやかな連合体であったことがわかります。
正教の導入とともにビザンツ帝国からギリシア文字がもたらされました。
さらにスラブ語を表記するために9世紀ごろキリル文字が発明されて、
キエフ・ルーシの修道院では聖書の翻訳など文字による文化活動がさかんになりました。
9世紀から12世紀のキエフ・ルーシの歴史をまとめた
『原初年代記』(12世紀初頭に編纂)は、
キエフ洞窟大修道院の修道士ネストルの著作と言われています。(諸説あり)
同じ文字を使って同じ経典や歴史を共有することは、
(知識人に限られていたとはいえ)ひとつの国家としての意識を育て
連合体を強化する意味がありました。
13世紀になると、モンゴルの侵攻でキエフ・ルーシは崩壊。
正教の本拠地はキーウからモスクワに移ります。
ウクライナの多層的な文化とヨハン・ピンゼルの彫刻
番組で紹介された小噺に
私はオーストリア=ハンガリー帝国(1867-1918)で生まれ
ポーランド(第2共和国 1918-1939)で結婚し
ソ連(1922-1991)で働き
ウクライナ(1991-)で余生を送っている
しかし私は一度も自分の村から出たことはない
というものがあります。小噺は現代のものですが、
キエフ・ルーシ崩壊後のウクライナの土地は
さまざまな国や民族の支配下に置かれるようになりました。
ローマ・カトリックと東方正教会、東方ユダヤ系などの文化が出会い、
多層的な文化を作り上げていきます。
ウクライナ西部の都市リビウでは、ポーランド王国の支配下にあった16世紀、
ポーランドの国教であるカトリックに
正教会の儀式(イコンへの接吻など)を組みいれた合同教会が生まれました。
正教会ではキリスト・聖人・天使などの姿はもっぱらイコン(聖像画)であらわされ
3次元の彫刻は避ける傾向がありましたが、
合同教会の建物は立体的な彫像で飾られています。
18世紀なかばに活動した彫刻家ヨハン・ピンゼル(1707?-1761?)は
そんなリビウならではの宗教彫刻を残しています。
貴族の依頼で西部の教会のために多くの木像を制作したピンゼルは、
ヨーロッパ中のさまざまな美術を学んでいたそうですが、
修行の旅をしたのかリビウに集まった人や美術品から学んだのかは
今のところわかっていないそうです。
当時のヨーロッパ文化の中心からは離れた大都市リビウで生まれた作品は、
アカデミックに寄らない大胆な表現が特徴。
青柳正規さんはピエタ(キリストの死を嘆く母マリアを表現した聖母子像)を例に、
アカデミックなピエタの代表作であるミケランジェロのピエタを
普遍的な悲しみを抽象化した「韻文のピエタ」、
身をよじり歪んだ表情で涙を流すピンゼルのマリア像を
ひとりの人間の悲しみを個性的に表現する「散文のピエタ」と呼んでいます。
ウクライナからのメッセージ(現代)
鴻野さんは現在も、ウクライナのアーティストたちと連絡を取っています。
侵攻当初は芸術の無力さを感じて活動を止めてしまうアーティストも多かったのですが、
現在は制作を再開する人が増えてきているそうです。
ハルキウ在住のウラジスラフ・クラスノショクさんは、
「芸術家としての自分の使命はこの事態を記録することだ」という考えのもと、
焼け跡になったハルキウの現在を白黒写真にした連作を発表しています。
侵攻した側であるロシアのアーティストたちは厳しい言論統制のもとにありますが、
危険の中で声をあげる人も絶えていません。
マリア・プリマチェンコの絵画
2022年2月28日、ロシアの侵攻によって
キーウ郊外のイワンキフ歴史地方博物館が火事になり、
収蔵されていたマリア・プリマチェンコの作品25点がすべて焼失したことが
ウクライナ外務省から発表されました。
マリア・プリマチェンコ(1908-1997)は、
帝政ロシア下のイワンキフの農家に生まれました。
刺繍職人だった母親から習った刺繍をもとに独学で絵を学び、
ウクライナの民話などをモチーフにした素朴でカラフルな絵画を制作。
ほかに刺繍や陶芸の作品をのこしています。
1991年にウクライナ共和国が独立し、民族意識が高まったことで
プリマチェンコの作品はさらに人気が高まり、
1966年にはタラス・シェフチェンコ国立賞
(詩人で画家であるタラス・シェフチェンコを記念する権威ある賞)を受賞。
切手の図案に採用されるなど、国民的画家として国内外で評価されました。
現在、プリマチェンコの作品は再びウクライナの象徴として注目されています。
太陽が見降ろす大地で花の咲く木々の下手を取り合う民族衣装の男女を描いた
《私たちの軍隊 私たちの守り手》(1978)や
花に囲まれて白い鳩が翼を広げる《翼を広げ平和を求める鳩》(1982)など
連帯や平和を表す作品や、不思議な生き物たち、美しい花などがSNS上で共有されて
(#prymachenko などのハッシュタグで探すと、たくさんの投稿が見つかります)
世界に向けたメッセージを投げかけています。
イリヤ&エミリア・カバコフのインスタレーションとメッセージ
ソ連時代のウクライナに生まれたイリヤ・カバコフさん(1933-)と
エミリア・カバコフさん(1945-)の御夫婦は、
結婚以前から現代美術のユニット
「イリヤ&エミリア・カバコフ」として活動してきたアーティストです。
番組では
世界中の子どもたちの絵を帆にして、民族・文化の違いを乗り越えて未来へ船出する
《手をたずさえる船》(2016 スイス、ツーク)
世界のニュースに合わせて色を変える(今はウクライナの国旗のような青と黄)
《手をたずさえる塔》(2021 新潟県越後妻有)
の、グローバルに連帯し共感しあうことを訴える作品が紹介され、
またエミリアさんからは平和のために手を差し伸べるメッセージが寄せられました。
エミリア・カバコフさんのインタビューは
日美ブログにも収録されています。