日曜美術館「そして、春は巡りくる デイヴィッド・ホックニーの芸術」(2023.09.24)

「私はいつもある種の探求をしていたと思います」という言葉どおり、絵の技法もスタイルも次々と変えていったデイヴィッド・ホックニー。
東京都現代美術館で開催中の展覧会では、常に新しいアートを作り出してきたホックニーの軌跡を一度に見ることができます。

2023年9月24日の日曜美術館
「そして、春は巡りくる デイヴィッド・ホックニーの芸術」

放送日時 9月24日(日) 午前9時~9時45分
再放送  10月1日(日) 午後8時~8時45分
放送局 NHK(Eテレ)
司会 小野正嗣(作家、早稲田大学教授) 柴田祐規子(NHKアナウンサー)

コロナ禍、ネットに色鮮やかなスイセンの絵を公開し「春が来ることを忘れないで」と、世界に向けてメッセージを発信したデイヴィッド・ホックニー(86)。60年以上に渡り探求と変貌を重ねながら、それまでの常識を打ち破る作品を生み出してきた。27年ぶりの大規模な展覧会を舞台に、初期の傑作から、コロナ禍にタブレット端末で制作した90mの大作まで、多彩な創作の秘密を読み解きながら、希望に満ちた芸術の神髄に迫る。(日曜美術館ホームページより)

ゲスト
楠本愛 (東京都現代美術館学芸員)

出演
デイヴィッド・ホックニー (美術家)
西村建治 (西村画廊)


デイヴィッド・ホックニー展(清澄白河)の会場から

小野さんと柴田さんは、東京都現代美術館学芸員の楠本愛さんとともに「デイヴィッド・ホックニー展」の会場にやってきました。
おなじ東京都現代美術館で1996年に開催された「デイヴィッド・ホックニー版画展 1954-1995」以来、日本では27年ぶりのホックニー展です。

デイヴィッド・ホックニー《春の到来》と《花瓶と花》

小野さんと柴田さんが最初に出会ったのは、水仙の花を描いた2枚の絵でした。
ひとつは、土から茎をのばし黄色い花をつけたラッパズイセンをiPadで色鮮やかに描いた《No.118、2020年3月16日 「春の到来 ノルマンディー 2020年」より》(2020)。
もうひとつは、花瓶に活けられた水仙とその影を版画技法(エッチングとアクアチント)の白黒の線だけで表現する《花瓶と花》(1969)です。

楠本さんによると2枚の絵を並べてみることで、ホックニーが非常に身近なものを描いてきたことと、様々な技法とスタイルを試してきたことが見えてくるそうです。
この2点は、変化を続けてきたホックニーの変わらない特徴と言えるかもしれません。

デイヴィッド・ホックニー展(2023)

東京都現代美術館(東京都江東区三好4-1-1 木場公園内)

2023年7月15日(土)~11月5日(日)

10時~18時 ※入場は閉館の30分前まで

月曜休館 (祝日は開館し、翌火曜休館)

一般 2,300 円
大学生・専門学校生・65 歳以上 1,600円
中高生 1,000円(800円)
小学生以下 無料

公式ホームページ


デイヴィッド・ホックニーのはじまり ―「ホックニーじゃない」時代

デイヴィッド・ホックニーは、1937年にイングランド北部のブラッドフォードで生まれました。
彼の父親は芸術を愛する人で、息子にも大きな影響を与えたようです。
「私の父は隣人にどう思われようと気にしないこと、常に自分らしくいることを教えてくれた」とホックニーは語っています。

16歳から4年間地元の美術学校に通ったホックニーは、22歳でロンドンの王立美術学校に進学。
当時のロンドンでは労働者を担い手とする新しいカルチャーが広がりを見せている時期で、伝統や権威に歯向かう自由なアートが求められていました。
ホックニーも新しい時代の画家として、伝統的な美術の世界では認められなかったテーマや技法に挑んでいきます。

学生時代に描いた《三番目のラブ・ペインティング》(1960)のテーマは同性愛。
(イギリスでは1967年まで同性愛を禁止する法律がありました)
画面には白い文字が散らばり、男性トイレの落書きにありがちな言葉に交じって、ホックニー自身のセクシャリティ告白とも取れるメッセージも。
文字を読もうと作品に近づくと、デコボコ・ザラザラといった絵肌の質感が伝わってきます。
小野さんが「まだホックニーじゃないですもんね」と語ったこの作品が製作された頃、ホックニーは色々なテクニックを試しながら、自らの表現を模索していました。

ホックニーの転機は、ロンドンに出た翌年にピカソの展覧会に出会ったことでした。
パブロ・ピカソ(1881-1973)の経てきた様々なスタイルに感銘を受けたホックニーは、会期中に8回も会場を訪れたそうです。
その影響を受けた《一度目の結婚》(1962)は、写実表現・抽象表現・コラージュの技法を取り混ぜたものでした。


デイヴィッド・ホックニーのロサンゼルス時代 ―「ダブルポートレート」

王立美術学校で3年間学んだホックニーは、1962年に首席で卒業します。
翌年に開いた初の個展では、出品した全作品が完売。
画家として順調なスタートを切りました。

1964年、ホックニーはアメリカのロサンゼルスに移り住みます。
移住のきっかけは同性愛者としてロサンゼルスの方が暮らしやすかったためで美術とはあまり関係なかったようですが、ホックニーは少し引いた視点からロサンゼルスを眺めるような、クールな作品をいくつも制作しています。

《ビバリーヒルズのシャワーを浴びる男》(1964)は美術の伝統的テーマ「水浴図」を現代の生活風景として解釈し直したもの。
《スプリンクラー》(1967)は、中産階級らしき家と庭の風景を、どこまでも生活感のないカラフルで人工的な存在としてとらえたもので、ロサンゼルスを客観的な立場から見て解釈しているように感じられます。

新婚の友人と飼い猫を描いた《クラーク夫妻とパーシー》(1970-71)は、1970年代末ごろから制作しはじめた「ダブルポートレート」のシリーズ。
大きな画面にほぼ等身大の2人の人物を描いたものです。
逆光によるドラマチックな明暗表現、鑑賞する側を見つめる視線、こちらに背を向けて窓の外を見ている猫のパーシーと、三次元的な奥行きを感じられます。


デイヴィッド・ホックニーとキュビスムの影響 ―「多視点」

ダブルポートレートのシリーズを描くうちに、ホックニーは絵と鑑賞者をより強く結び付ける迫真性、中に入っていけるようなリアリティを求めるようになります。
どう描けば迫真性が生まれるのか悩む中、ヒントとなったのは学生時代に影響を受けたピカソのキュビスムでした。
目は正面から見た形、鼻と口は横から見た形、といった多視点の構図を研究するうちに、ホックニーは自分が伝統的な遠近法に縛られていることに気が付いたそうです。

10年以上の探求の末、ホックニーが導き出した一つの答えは、通常の遠くに行くほど小さくなる遠近法とは逆に、奥にあるものを大きく表現する「逆遠近法」でした。
《遠近法のレッスン》(1984)では、逆遠近法で描かれた椅子の後ろにバツをつけられた通常の遠近法による椅子の絵が飾られています。

メキシコにあるホテルの中庭を描いた《ホテル・アカトラン 2週間後》(1985)になると、斜め上から庭を見降ろす構図にとどまらず、下から見上げた屋根の廂、逆遠近法で描かれた柱の土台、と沢山の視点が取り入れられています。
柴田さんいわく、ただ立っているだけでも(中庭の周りを)回っている気になるこの絵、鑑賞者を画面の中に引き込む効果は十分に発揮されたように思いますが、ホックニーの探求はまだ続きます。

1989年に日本橋の西村画廊で開催された展覧会は、ロサンゼルスから送られた16枚のFAXをつなぎ合わせて一枚の絵として展示するというもの。
西村建治さんは当時、分割されたひとつの絵が目の前で組みあがる面白さや、新しいものに関わる達成感を感じたと言います。
複数の視点を継ぎ合わせた作品はこの後も探求が続けられ、複数のカメラを使った写真や映像の作品としても形にされました。


デイヴィッド・ホックニーとブラッドフォードの自然 ― 風景画とiPad

ホックニーは2004年にアメリカからイギリスに帰国し、故郷であるブラッドフォードにほど近いイーストヨークシャーに拠点を移して、身の回りにある自然の風景を描くようになりました。

2007年の《ウォーター近郊の大きな木々またはポスト写真時代の戸外制作》は、50枚のキャンバスを組み合わせた大画面の作品。
小野さんが絵に包まれてその一部になっているような錯覚を覚えたほど、絵の世界が現実にとって代わるような迫力があります。
タテ4.6m×ヨコ12.3mの大作にかかった製作期間はわずか6週間だとか。
ホックニーはキャンバスを数枚ずつ外に持ち出して制作し、パソコンで全体像と照らし合わせる作業を繰り返すことで3月半ばから4月にかけて、春の季節が終わらないうちに作品を完成させたそうです。

さらに2011年の《春の到来 イースト・ヨークシャー、ウォルドゲート 2011年》は、32枚のキャンバスを使った油彩画と、タブレットで描いたドローイング12点で構成される作品です。
(ホックニーは2010年の発売と同時にiPadを入手したそうです)
油彩画はアトリエで描かれたものですが、タブレットの絵は実際の風景を前に描いたものです。
キャンバスとは違い画面が光を出すタブレットはホックニーの色彩感覚にも影響を与え、作品はより色鮮やかになりました。
ひとつひとつを取り上げれば奇抜な色味(赤とピンクの地面など)も全体を見るとしっくりくるのは、ホックニーが実際に感じた色を乗せているからでしょうか。


デイヴィッド・ホックニーとノルマンディーの季節 ―「春が来ることを忘れないで」

2019年にフランスのノルマンディー地方に拠点を移したホックニーは、そこで新型コロナウイルスの蔓延による世界的な混乱に遭遇しました。
最初に紹介された《No.118、2020年3月16日 「春の到来 ノルマンディー 2020年」より》(2020)は、社会全体が不安に包まれる中「春が来ることを忘れないで」のメッセージとともにオンラインで公開された作品です。

幸いホックニーの暮らす地域はコロナウイルスの拡大もそれほど深刻にはならず、ロックダウン中のホックニーは1年がかりで全長90mの大作《ノルマンディーの12か月》(2020-21)を完成させています。
ノルマンディーの季節の移り変わりを描き留めたこちらの作品を前にした小野さんは、意外とちゃんと見ていない身近な風景を思いもよらない角度から差し出されることで「生きる喜びに気づかされる」とポジティブなエネルギーを受け取りました。

ホックニーは日本の人々へのメッセージとして“be yourself”(あなたらしくいなさい)と語っています。
当たり前の日常も、視点を変えたら案外素敵で、生きる喜びに満ち満ちているのかもしれません。

日曜美術館で一部紹介されたデイヴィッド・ホックニーさんのメッセージは、東京都現代美術館(MOT)のYouTubeで視聴することができます。(15分49秒)