日曜美術館「“日本に生まれたオランダ人” 亜欧堂田善」(2023.2.5)

亜欧堂田善は、江戸時代に西洋画の技法を取り入れた「洋風画家」のひとりです。
日曜美術館では、遠近法や陰影法を使いながらも西洋画とはちょっと違う、
田善独自の「凄さ」と「面白さ」に迫りました。

2023年2月5日の日曜美術館
「“日本に生まれたオランダ人” 亜欧堂田善」

放送日時 2月5日(日) 午前9時~9時45分
再放送  2月12日(日) 午後8時~8時45分
放送局 NHK(Eテレ)
語り 柴田祐規子(NHKアナウンサー)・平泉成(俳優)

江戸時代を代表する洋風画家の一人、亜欧堂田善(1748~1822)。西洋からもたらされた遠近法や陰影法を駆使して独自の油彩画や銅版画を描き、洋風画の先駆者、司馬江漢から“日本に生まれたオランダ人”と言われたという。今、没後200年を記念して大規模な展覧会が開かれている。番組では、亜欧堂田善の制作手法を明らかにしながら、風俗画としての魅力にあふれた銅版画や油彩画を紹介する。(日曜美術館ホームページより)

出演
坂本篤史 (福島県立美術館主任学芸員)
金子信久 (府中市美術館学芸員)
三井田盛一郎 (版画家・東京芸術大学教授)
武田恵理 (油画技法史研究家)


亜欧堂田善 江戸時代の洋風画家

47歳で染物屋から画家へ

陸奥国白河藩領(現在の福島県須賀川氏)生まれの亜欧堂田善は、
本名を永田善吉といって、画家になる前は兄の丈吉と染め物業を営んでいました。
(兄が亡くなった後は田善が継いでいます)
号の「田善」は姓と名から1文字ずつ取ったもの、
「亜欧堂」は白河藩主の松平定信が
「亜細亜と欧羅巴を眼前に見る」ようだと言ったのが由来と言われています。

田善が画家になったのは松平定信に召し抱えられた47歳の時。
この時、定信の近習だった南画(文人画)家の谷文晁に入門しています。
定信の命令で西洋の画法を学ぶことになった田善は江戸で技術を磨き、
おそらく白川藩お抱えの蘭学者の協力も得て、50歳ごろには銅版画の技法を完成させました。
現在、銅版画約90点、油彩画10点以上が田善の作品として伝わっています。

洋風画家としての亜欧堂田善

架空のヨーロッパの都市風景を描いた風景画《ゼルマニア廓中之図》や
動植物や人物を装飾的に並べた《フローニンヘンの新地図》を見ると、
田善は遠近法や陰影法といった西洋画の技法を使いこなしており、
1歳上で洋風画制作の先輩だった司馬江漢が
「日本に生まれたオランダ人」と称賛したというエピソードも
納得の技量を持っていたことが分かります。
とはいえ田善の魅力は技術の高さだけではありません。
田善を語るならその「凄さ」と同時に「面白さ」がポイントになります。

たとえば《ゼルマニア廓中之図》に登場する建物は、
《古代ローマ繁栄之図》と《パリ市庁舎眺望》という
まったく別の時代を描いた2つの図を組み合わせたもの。
《フローニンヘンの新地図》では元の図をアレンジして
巨大なカエルのような謎の生物を登場させたり、
鎌を持っていた人に蛇を握らせたりといった悪戯を仕掛けています。

福島県立美術館の坂本篤史さんは、
これらの銅版画に遊び心や剽軽さなどを読み取っています。
制作そのものを面白がっているようだ、という田善の姿勢は
技術の向上や独自のアレンジに打ち込む職人気質の賜物でしょうか。


亜欧堂田善の技法

銅版画(エッチング)の技法

版画家の三井田盛一郎さんによれば
田善の完成させた銅版画の技法は現代のエッチングと変わらないもので、
200年前の日本で実現できたのは凄いことなんだそうです。
日曜美術館では、三井田さんが田善の《河豚図》(1809)の再現に挑戦しました。
墨のような白黒の濃淡でふっくらしたフグを描いた作品です。

エッチングは細かい線や点で表された下絵を銅の板に写し、
下絵の部分を薬品で腐蝕させて凹みを作り、
凹みにインクを詰めた銅板と紙を重ねて圧力をかけることで
下絵を転写する方法です。

田善の《河豚図》は
グランド(防食剤)を塗った銅の板に細かい線を重ねることで河豚の輪郭を作っています。
(輪郭線は描きません)
黒を濃くしたい所には腐蝕液を重ね塗りすることでインクを詰める溝を深くするのですが、
部分ごとに腐蝕液を塗る回数を変えて溝の深さを調整することで
水墨画のような濃淡が現れました。

完成した再現図は田善の《河豚図》よりもきめが粗く、
田善がどれだけの時間と手間をかけて1匹のフグを完成させたのか考えさせられます。

油絵の具の調合

田善は油彩画の作品も描いていますが、
油絵具は当時の日本に流通していなかったため、文献などをもとに自作していました。
(田善より前にも司馬江漢などの洋風画家たちが油絵具を自作して作品を描いています)
日曜美術館では、田善が自作した油絵の具を武田恵理さんが再現しました。

油絵具のベースになる油は何でも良いわけではなく、
乾燥して固まる性質がなければいけません。
田善はエゴマからとった荏油(えのあぶら)に
乾燥を早める鉛白や虫よけの唐辛子を加えて煮た油を濾し、
日本画でも使う顔料と煉り合せた絵具を使っていたことが分かっています。

武田さんは、画材店で油絵の具が買える現代とは事情が異なる江戸時代の人が
一から工夫して絵の具を作り出したことに、
貪欲に知識を吸収して再現する熱意を感じたといいます。


亜欧堂田善の名所絵

銅版画の名所図と《大日本金竜山之図》

田善の銅版画の中には江戸名所を描いた作品が多くありました。

大型江戸名所図の連作のうち《レウコクハシ(両国橋)》や
《ミツマタノケイ(三俣の景)》を見ると、
無数の人が行きかう両国橋や隅田川中州の三俣は画面の奥に配置され、
手前に置かれている料理屋の二階で談笑する人々とお膳の上の巨大な魚、
日向で洗濯をする2人の女性(1人は髪を洗った水を捨てるところかも?)と
日陰からそれを眺める男性、といった人々の様子に目が行きます。

府中市美術館の金子信久さんは、
完璧な遠近法で絵の中に「遠く」を作り出す手法が
西洋風の絵に慣れていない当時の日本人には斬新に見えたのかもしれないと考えています。
不思議な空間の中で生き生きと活動する人々の様子は、
金子さんいわく「カメラを持ってタイムマシンで江戸時代に行って撮ってきたよう」。
田善の技術と遊び心は、名所図にも存分に発揮されていました。

田善は江戸を代表する名所・浅草寺の境内を描いた
《大日本金竜山之図》では、仁王門・本堂・五重塔と
境内の名物を全て画面に納めるようなパノラマ状の風景画に仕立てています。
当時の日本では掛け軸にするような縦長の絵が普通ですから、
正面やや斜めのアングルから捉えた横長の構図は
見る人々を驚かせたかもしれない、と金子さんは言います。
また当時の浅草寺は仁王門の脇から垣がめぐらされていたため
実際の風景が田善の絵のように見えることはなく、
そういう意味でも当時の人は「何だこりゃ」と驚いたかもしれない、とも。

油彩画の名所図と《両国図》、そして《浅間山図屏風》の新たな評価とは?

田善は油彩画でも名所図を制作しており、
遠近と陰影に色彩も加わった独特の世界が展開しています。
「独特」というのは田善の描く絵が西洋的なデッサンにもとづくものではなく、
むしろ面白さを追究する一環として西洋の技法を使っている節があるからです。

たとえば油彩で描かれた《両国図》には
お相撲さん2人が舟遊びに出かける様子がメインに描かれていますが、
どっしりした体格のお相撲さんに対して周囲には妙に細長い人がいます。
特に手前から2番目の船にいる船頭さんは明らかに不自然な、金子さんいわく
「電信柱かマッチ棒」のような体形ですが、
陰影はしっかりつけられて、まるでその場に実在するように描かれています。

人々のなりわいを面白おかしく、ちょっと不思議な調子で描いた田善ですが、
文化年間(1804-18)の後半ごろの作品《浅間山図屏風》をどう評価するべきか、
という問題は研究者の間でも評価が分かれていたようです。

この作品は6曲1隻(6つの面からなる屛風が1つ)の屛風に
青空を背景に噴煙を上げる浅間山を描いたもので、
近景には炭を焼く人の気配(炭焼き小屋の煙や伐られた木)がありますが
具体的な人の姿はありません。

江戸時代の油彩画として最大の作品であり(高さ150cm×幅338cm)
油彩画の屛風としても唯一の作品ですが、
あまり立体感のない平べったい印象があり、
これを正式な西洋画を学んでいない田善の限界とみるか、
屏風として部屋に飾ることを考えてわざと装飾的に(平べったく)描いたとみるかが
議論の的になっていました。

田善本人が既に亡いため結論が出ることはないかと思われましたが、
1991年に須賀川の旧家でこの屏風の稿本が発見されたことで、
当初の予定では前景に2人の人物が登場し、
田善が得意とする奥行きのある構図が計画されていたことが分かりました。
この屏風に関しては現実的な奥行きのある空間を作るよりも、
平面としての美しさとリアルな山の姿を融合させた
屏風としての見せ方を優先したのではないか、と金子さんは話しています。

この屏風が制作されたころ田善は60代、もしかすると70代のはずですが、
自分の得意技をあえて使わず表現の可能性を探る姿勢には
年齢を超越した情熱のようなものを感じます。
田善は1822年に75歳で亡くなりました。


「没後200年 亜欧堂田善 江戸の洋風画家・創造の軌跡」(千葉市美術館)

千葉県千葉市中央区中央3-10-8

2023年1月13日(金)~2月26日(日)

10時~18時 (金・土曜日は20時まで開館)
※入場は閉館の30分前まで

毎月第1月曜日休館

一般 1,200円
大学生 700円
小・中学生、高校生無料
千葉市内在住の65歳以上 960円
※金・土曜日の18時以降は観覧料半額

公式ホームページ