日曜美術館「北宋絵画 ベールを脱ぐ中国芸術の最高峰」(2023.11.19)

東京の根津美術で開催中の「北宋書画精華」の会場へ。
展覧会を企画した板倉聖哲さんの解説つきで、北宋時代の名品をじっくり鑑賞します。

2023年11月19日の日曜美術館
「北宋絵画 ベールを脱ぐ中国芸術の最高峰」

放送日時 11月19日(日) 午前9時~9時45分
再放送  11月16日(日) 午後8時~8時45分
放送局 NHK(Eテレ)
司会 小野正嗣(作家、早稲田大学教授) 柴田祐規子(NHKアナウンサー)

中国芸術史上の最高峰の一つ、北宋絵画。千年もの昔に、無限に広がる奥行、光や空気の描写、リアルな表現に成功した。名品の数多くが、実は日本にあるが、これまで一堂に会したことはなかった。今、それらが集結する「奇跡の展覧会」が根津美術館で開かれている。巨大な水墨山水画、近年、80年ぶりに再発見された神品「五馬図」など世界的な名品の魅力をたっぷり紹介。またそれらがなぜ日本にあるのか、歴史秘話をひもとく。(日曜美術館ホームページより)

ゲスト
板倉聖哲 (東京大学東洋文化研究所教授)

出演
陳韻如 (台湾大学准教授)
ジョセフ・シャイアー・ドルベリ (メトロポリタン美術館キュレーター)
井後尚久 (澄懐堂美術館学芸課主任)
大竹卓民 (水墨画家)


北宋書画はなぜ日本に? 代表作と歴史を紹介

この展覧会に出品されている絵画の多くは、日本の美術館が所蔵する作品です。
北宋絵画の名品がなぜ日本にあるのかと言えば、清王朝の滅亡(1912)まで遡ります。

義和団事件(1899〜1901)にはじまる社会の混乱と清朝の滅亡によって、多くの美術品が流出。
日本にも多くの名品が渡来することになりました。
この時に北宋絵画の重要性を説いて収集の音頭を取った中国史家の内藤湖南(1866-1934)には、ヨーロッパに流出するよりもせめてアジア内に留めたいという考えがあったそうです。

李成《喬松平遠図》五代〜北宋(10世紀)澄懐堂美術館

三重県四日市市の澄懐堂美術館は、製糖業で財を成した中国書画のコレクター・山本悌二郎(1870-1937)のコレクションを所蔵する中国書画専門の美術館です。
山本からコレクションを引き継いだ側近の猪熊信行(1906-1991)が四日市の出身だった縁で、第2次世界大戦中にコレクションがこちらに疎開。
後に猪熊が初代理事長となって澄懐堂美術館が設立されました。

この美術館からやってきた《喬松平遠図》は、北宋山水画様式のメインストリームを作った李成の山水画です。
V字状に配置された丘陵と、そこに生える背の高い松の木、その向こうに見える折り重なった山並みと、見る人の視線を奥に誘う仕掛けが施され、平面であるはずの画面の中に距離感を作り出しています。
李成は士官の口を求めて宋の都開封に出たものの、志を果たせないまま没したという不遇な人ですが、その山水画は後世に大きな影響を与えました。

山本直筆のコレクション目録「澄懐堂書画目録」には、1176点のコレクションの筆頭に《喬松平遠図》が挙げられ「画に対して恍然として 画を忘るるが如きは 惟此の軸あるのみ」と書かれています。

伝・董源《寒林重汀図》五代(10世紀)黒川古文化研究所

証券会社の2代目にして書画骨董の蒐集家だった2代目黒川幸七のコレクションを所蔵する黒川古文化研究所(兵庫県西宮市)は、3代目黒川幸七夫妻によって設立されました。
2代目幸七は実務を番頭に任せて収集に明け暮れるというなかなか困った人だったようですが、内藤湖南をはじめとする知識人の意見を聞きながら行った蒐集の成果は素晴らしいものです。

展示中の《寒林重汀図》は、江南水墨画の祖とされる董源の作品と言われています。
描かれている江南の水郷は、墨の濃淡で表された光と影の表現やさりげなくあしらわれた白い顔料から、雪がちらつく夕暮れであるとわかります。
水と山が交互に折り重なるようにして広がる風景は奥(画面の上)に行くほどぼやけて、近くで見ると点と線の集合のように見えますが、少し離れてみると木々が点在する風景が現れます。
当時の人々も近づいたり離れたりしながら、墨や筆跡の美と風景の美を交互に楽しんでいたんだとか。
絵の上には明代の文人・董其昌による「天下第一」との賛があり、この作品が長く重要視されていたことが分かります。。

内藤湖南の箱書きと、1935年に購入した際の領収書が残っています。
領収書によれば、購入金額は当時の金額で1万8000円。
当時の1円が2~3000円として、4000万~7000万くらいでしょうか。
大金ではありますが、絵の価値を考えるとお買い得だったようにも思えてきますね。

燕文貴《江山楼観図鑑》北宋(10〜11世紀)大阪市立美術館

東洋紡績株式会社の社長などを務めた実業家の阿部房次郎(1868-1937)は美術品の愛好家としても知られています。
この人も内藤湖南に助言を求め、また自らも中国に足を運んぶ熱心な蒐集家だったんだとか。
没後、そのコレクションの中でも選りすぐりの160点が、長男によって大阪市立美術館に寄贈されました。

阿部コレクションのひとつである《江山楼観図鑑》の作者は、精緻な筆で散水や人物を描くことで知られた宮廷画家の燕文貴です。
全て広げるとおよそ160cmの画面の中には山河や人の暮らす村が展開し、左から右に移動するにつれて雨が降り始めてから止むまでの時間が流れます。
よく見ると絵の中の木々は吹き付ける風を受けて左になびき、細かく描きこまれた人々も天候にあわせて仕草や服装が変化している様子。
鑑賞するときは単眼鏡必須です。


李公麟《五馬図巻》と《孝経図巻》

「北宋書画精華」の目玉は、北宋を代表する文人画家・李公麟の作品です。
80年の行方不明を経て2015年に再発見された《五馬図巻》と、アメリカはメトロポリタン美術館から特別出品の《孝経図巻》。
公麟の作品が2点も揃うのはそれだけで「事件」というほどすごいことなんだそうです。

李公麟《五馬図巻》 北宋(11世紀)東京国立博物館

西域諸国から北宋王朝に献上された5頭の馬と、馬を引く5人の人を描いたこの作品は、美術品の中でも最上とされる「神品」として歴代王朝で大切にされていたそうです。
絵の前には清朝の第6代皇帝・乾隆帝による題(解説)が。
作者は馬の図の名手として知られる李公麟です。

《五馬図巻》は清朝の滅亡後日本に渡って実業家の所有になり、1933年には日本の重要美術品に指定されたことがわかっていますが、その後行方不明になっていました。
2015年に発見され、2018年に東京国立博物館に寄贈されますが、行方不明になっていたおよそ80年の間に実物を見た人がいなくなってしまい、真贋を判定する立場になった板倉さんはとんでもなく緊張したそうです。

行方不明期間、この絵の研究は1925年に中国で発行されたモノクロの図版によって進められていました。
発見された実物から淡い彩色と精緻な筆使いが判明したことから、従来の研究にさらなる発展が期待できます。

《五馬図巻》の先頭に描かれた葦毛の馬の介添人を再現した水墨画家の大竹卓民さんは、この図が実在のモデルを見ながら薄墨の対象の形を捉える段階と、整理された濃墨の線でよりリアルな像を構成する段階の2段階に分けて描かれたことを指摘しています。
馬を引く人たちは服装も人種もバラバラに見えますが、実際に馬を連れてきた西域の人たちを描いたのでしょうか?

李公麟《孝経図巻》北宋(1085頃)メトロポリタン美術館

ニューヨークのメトロポリタン美術館から特別出品された《孝経図巻》は、白描画の名手としても知られる李公麟の代表作として知られていました。

親孝行の道を説く「孝経」の18章を絵画化したもので、すべて墨の線による典型的な白描表現で100人を超える人々が描かれています。
白描画としての素晴らしさはもちろん「公麟」の落款も希少な直筆として重要な資料なんだとか。

《五馬図巻》と《孝経図巻》はどちらも元時代のコレクター王芝の所蔵だったことがわかっていて、同じ空間で展示されるのはそれ以来800年ぶり「かもしれない」そうです。


「北宋書画精華」(根津美術館)

東京都港区南青山6-5-1

2023年11月3日(金)~12月3日(日)

10時~17時 ※入場は閉館の30分前まで

月曜休館

オンライン日時指定予約
一般 1800円
学生 1500円

公式ホームページ

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