休館中の美術館や博物館で来館できない利用者のための取り組みが広がっています。
東京国立博物館ではYouTube(チャンネル名は「TokyoNationalMuseum」)で
担当研究員が中止になった展示を案内する「オンラインギャラリー」を配信しています。
長さはそれぞれ20分程度。さらっと見れて楽しくためになる、内容の濃い映像です。
三田研究員が語る、特集「おひなさまと日本の人形」
2020年3月3日(19分19秒)
本館14室(特集室)
2月26日(水)から始まった特集「おひなさまと日本の人形」は、翌27日(木)より休館になったことから1日だけの展示となり、そのまま今日のひなまつりを迎えることとなってしまいました。研究員が寄せるおひなさまへの熱い思いを、約20分間の動画でご紹介します。ぜひこの動画で、雛飾りの名品とその歴史についてご堪能ください。
享保雛と日本一可愛い(?)犬箱
最初に紹介されたのは享保(1716-1736)頃から江戸で流行した享保雛。
能面のようなつり眼ぎみのお顔立ちです。
江戸時代にはお雛様の大きさを競い合う習慣があり
それがエスカレートしたせいで享保6(1721)年には
高さ8寸(約24㎝)以上の雛人形を禁止するお触れが幕府によって出されたとか。
東博のお人形は残っている中でも特に大きく50センチくらいあるそうで、
競争の激しい時期に作られたのかもしれません。
そして1分54秒くらいから登場する犬筥にも注目。
三田研究員が
「残されている犬箱の中でも一番個人的には可愛いんじゃないかなと思っています」
と自慢する逸品です。
犬筥は子どもの顔をした犬の形の物入れで、
安産・子沢山な犬にあやかってお産のお守りやお嫁入りの道具に用いられます。
この犬筥は白地に銀色のシンプルなたたずまいから
実際のお産で飾られたものではないかとのことでした。
(お産のとき調度を白一色にする習慣があったため)
ひな人形からフィギュアにいたる日本の人形史
つづいて、お雛様と人形の歴史。
実際の人形が並べてあるので分かり易いです。
Tの字に頭をつけたような形の天児(あまがつ)や
ハイハイしている女の子をかたどった這子(ほうこ)など、
子どもの身代わりや厄除けのお守りとして生まれた単純な人形からはじまります。
男女一対の雛人形はまず紙製の立雛が作られるようになり
それが技術の向上でどんどん華やかになると
布の衣装をつけた「衣装雛」が登場します。
立雛と衣装雛の転換期の例として紹介された「古式次郎左衛門雛」
これは江戸東京博物館の「江戸ものづくり列伝」でも紹介された
薪絵師・柴田是真が所蔵していたもので、箱にはこんな文字がありました。
「此雛ハ先師是真翁最愛玩品也」
(このお雛様は亡き師匠の是真が最も大切にしていたものです)
弟子の竹真という人が書いた字だそうです。
お雛様の制作技術が高まると、
浮世絵の中の人物を立体化したかのような「衣装人形」が生まれました。
「いまでいうフィギュアの源流と言って良いんじゃないかと思います」というように、
子どものためではなく大人が鑑賞するための人形です。
衣装の下にはちゃんと裸の体が作られているそうですが、
こだわりの結果なのかそういう趣味なのかは不明です。
前川氏寄贈の雛人形・雛道具と日比谷家伝来の古今雛一式
そして、今期の目玉になるはずだったのが
昨年寄贈された前川家伝来の雛人形と雛道具一式と、
日比谷家から寄託されている古今雛一式。
どちらも安政末期の作品です。
前川家の雛人形は小さいのですが
表情やしぐさなど細かいところまでとても精巧に作られています。
なんでも幕府の禁令で大きな雛人形が作れなくなったので
かわりに細部にこだわるのが流行したとか…いかにも日本人らしいエピソードです。
お道具も人形にあわせて小さいもののこれまた細かいところまでしっかり作り込まれて
「江戸の極小雛道具の最高傑作」と絶賛されるすばらしさです。
ちなみに、特設ページからダウンロードできるパンフレット
「前川家伝来の雛飾り ―華麗なる江戸の極小雛雛道具―」では
雛段(なんと11段!)に飾られた様子と雛道具の写真を見ることができます。
お道具の中には珍しいガラス(ぎやまん?)の酒器セットも。
これらのお道具が作られたのは日米修好通商条約が結ばれ横浜が開港した後。
なんだか時代を感じます。
日比谷家の古今雛は逆にかなり大型で、
顔立ちの美しさや指先の繊細な表現などがよくわかります。
内裏雛・三人官女・五人囃子までおなじ作者が手がけたもので、
デパートなどでセット販売が当たり前の近代とは違い
人形を一体一体買い集めるのが普通だった江戸時代のものでは、
同じ作者の人形が一そろい残っているのは大変貴重なんだそうです。
こちらのお人形は2018年の1089ブログ(トーハクブログ)で
一年がかりの修理について紹介されています。
猪熊研究員が語る、特集「朝鮮王朝の宮廷文化」
2020年3月9日(11分52秒)
平成館 企画展示室
ご紹介するのは、特集「朝鮮王朝の宮廷文化」です。こちらは、後期展示が2月26日(水)から始まりましたが、1日のみの公開となってしまいました。(展示終了は3月15日(日))後期展示をお持ちくださっていた方も、初めてご覧いただく方にもお楽しみいただけるよう、朝鮮工芸の魅力を猪熊研究員が解説いたします。
朝鮮の屏風とその見どころ
朝鮮時代の宮廷や宮廷人を輩出した特権階層の両班(ヤンバン)の生活を紹介する展示です。
まず登場するのは、朝廷の儀式の様子をあらわした《宮廷儀式図屏風》。
中央にいる国王(ただし国王の姿を描かない伝統のため玉座のみ)と
序列に従って整然とならぶ官人の姿を描いています。
臣下の中では赤い服の人が特に身分が高いそうですが、
展示室の壁が一部きれいなワインレッドなのはそこからきているのでしょうか?
このあと臣下が身に付ける衣装と冠(金冠)の紹介がありました。
冠に描かれている線の数も位が高くなると増える(最高は5本)そうで
組織内の立場がひとめでわかる実用的な制服だということがよくわかります。
現代人から見ればただの綺麗な衣装なのですが…
屏風からはもう1点《郭汾陽行楽図屏風》が紹介されています。
安史の乱で功績をあげ汾陽まで出世した郭子儀(かくしぎ 697-781)の生活を描いたもので、
結婚式などで使われたそうです。
朝鮮の屏風は両サイドだけを立てたコの字型に飾るのが普通だそうで、
《郭汾陽行楽図屏風》はその通りに立ててありました。
美術品を見るときは、その置き方にも注目する必要があるみたいです。
宮廷・両班階級の調度品
宮廷や両班の家庭で使われていた家具には
漆塗りに螺鈿細工がびっしりほどこされた棚や
牛角を薄く切って絵付けしたものを貼った「華角貼(かかくばり)」の箱などがありました。
こういった華やかな調度品はもっぱら女性用で男性用は落ち着いた物が多かったとか。
国王や位の高い両班も普段使う家具は地味だったんでしょうか。
他にも赤く塗られたり彫刻がしてあったりといろいろな装飾のほどこされた調度品ですが、
形は庶民が使っているものと変わらないそうです。
土地の風土にそってつくりあげられた民族の生活様式は宮廷であっても変わらない。
むしろその変わらない部分が民族特有の文化なのかもしれません。
沖松研究員が語る、仏涅槃図の世界
2020年3月19日(22分27秒)
本館3室(仏教の美術 平安~室町)・本館2室(国宝室)
2月4日(火)から 3月15日(日)まで展示予定だった「仏涅槃図」2作品の比較と、4月5日(日)まで国宝室(本館2室)で展示予定の「国宝 十六羅漢像(第二尊者・第十四尊者)」です。作品への思い溢れる沖松研究員のトークで、ぜひトーハクをお楽しみください。
平安と鎌倉の《仏涅槃図》
涅槃図はお釈迦様が入滅された時の様子を描いたもので、
中国や日本のお寺では入滅の日とされる2月15日にこれを飾って
お釈迦様を偲ぶ法要(涅槃会)を行います。
動画では平安時代と鎌倉時代に描かれた涅槃図を紹介して
それぞれの特徴を解説していました。
涅槃図にも時代ごとの流行があるようで、
平安時代のものは中国の唐で描かれた涅槃図から、
鎌倉時代は宋の涅槃図から影響を受けているそうです。
大きな違いとしてまず、
平安のものは全体の画面が長方形でお釈迦様が横たわっている寝台の足元の側面が見え、
対する鎌倉のものは縦長で寝台の頭の方の側面が見えるのだそうです。
時代が後になるにしたがってお釈迦様の死を悼む周囲の面々が増えて
悲しみの表現もより生々しくなるようですが、
東博で所有している平安時代の《仏涅槃図》(重要文化財)では
お釈迦様が平安式の上品で穏やかな様子で描かれている反面
会衆がそれぞれ表情豊かに悲しみを表現していたり動物がたくさんいたりと
鎌倉につながる特徴がみられるそうです。
鎌倉の《仏涅槃図》になると動物の数と種類はさらに増えて、
さらにお釈迦様の生母である摩耶夫人が転生していた忉利天(とうりてん)から
雲に乗って駆け付けるさまが描かれています。
人物はより人間臭く描かれ、悲しみの表現もさらに激しくなります。
中には卒倒して介抱されている弟子の姿も。
国宝《十六羅漢像》(第二尊者・第十四尊者)
羅漢は仏道の修行を終えた聖者のこと。その羅漢の中でも特別な、
お釈迦様がなくなった世にとどまって仏教を伝える使命を持っている十六人が
「十六羅漢」と呼ばれています。
ここでは第二尊者の迦諾迦伐蹉尊者(かなかばっさそんじゃ)と、
第十四尊者の伐那婆斯尊者(ばなばしそんじゃ)が展示されていました。
十六羅漢のことを伝える文献では姿や性格を伝えておらず
名前・住所・付き従う者の人数の記述があるだけなので、
作品はいろいろな姿のものがあり名前がなければ見分けがつかないそうです。
(紹介された作品は右上の部分に名前が書いてあります)
11世紀の仏画は彩色の美しさを重視しており、
この作品の穏やかな画風と明るい色彩は時代の特徴がよく出ています。
裏彩色(画絹の裏側から色を付けること)を用いた柔らかい色合いと、
さらに表から色を付けることで生まれる立体感のある表現も見どころとのことです。
市元研究員が語る、博物館で見る青銅器の鑑賞方法
2020年4月13日(15分45秒)
東洋館5室(中国の青銅器)
第4弾は東洋館5室(中国の青銅器)の青銅器の作品、「饕餮文瓿(とうてつもんほう)」と 「饕餮文三犠尊(とうてつもんさんぎそん)」(2019年11月19日(火)~2020年4月12日(日))をご紹介します。
市元研究員が、博物館に行って作品を見る意味や、作品の楽しみ方について熱く語ります。
(この動画は2020年3月24日(火)に撮影したものです。)
東洋館と青銅器
東洋館は東京国立博物館の正門を入って右手にある建物です。
中国、朝鮮半島、東南アジア、西域、インド、エジプトなど
アジアの美術・工芸・考古資料を展示しているのですが、
来館者の多くは平成館の特別展や本館の日本美術を見に行くのであまり人が多くない、
市元研究員いわく「穴場と言えば穴場」なスポットです。
(そう言えばわたしも足を踏み入れた記憶がありません)
この動画では、東洋館の中国青銅器を代表する作品2点が紹介されます。
饕餮文瓿(とうてつもんほう)と饕餮文三犠尊(とうてつもんさんぎそん)
どちらも前13世紀~11世紀のもの。
今から3000年以上前、神様を祭る行事で使われたお酒や水を入れる容器です。
「瓿(ほう)」は横広がりの形をした蓋つきのもの、
「尊(そん)」は頸から上がラッパのように開いたもので、
これに饕餮の文様(三犠は3つの動物)があるためにこの名前になります。
「饕餮(とうてつ)」は中国神話に登場する怪物ですが、
現在「饕餮文」と呼ばれているのが本当に饕餮なのかはわからないそうです。
なんでも1000年ほど前の学者が、
これこそ文献にある「饕餮」に違いないと命名したとか。
考古学では正確を期して「獣面文」と呼んでいるそうです。
饕餮が意味しているものはいろいろな説があり、
土地の神であるとか、天神の使いであるとか、祖先神とも言われていますが
研究員によればこういったことはネットでも書物でも探せばわかることで
「そんなことを確認するために博物館に来てもつまんないです」…だそうです。
それでは博物館には何をしに行ったらいいのでしょう?
博物館で古代の青銅器を見るということ
今から3000年前の中国でお祭りに使われた青銅器。
現代日本ではそれこそ博物館にでも行かないかぎり滅多にお目にかかれないものです。
大抵の人は青銅器を目の前にしても
どこを見たらいいのか分からないが正直なところではないでしょうか。
博物館で本物の青銅器と向かい合うなら
ここでしか体感できないことをしようというのが研究員からの提案です。
たとえば饕餮文瓿と饕餮文三犠尊は
どちらも複数の場所に饕餮の顔らしい文様があり、
やはりどちらも胴部のやや下に一番目立つ大きな顔が描かれています。
その顔がある場所の上下には文様がない部分があり
これはおそらく神の姿に直接触れないように手をかける場所。
観察することで、容器を持つ際にどのように扱ったのか想像することができます。
当時の人が一番持っていた部分ということは一番弱くなっているということでもあるので
博物館では逆にその部分に触れないように気を付けるそうですが。
また「一番迫力のある角度」を探すのもお勧めだそうです。
確かに図録などの写真ではできるだけ正面から全体を捕らえた構図が多いので
実物を前に映える角度を探すのは博物館でしかできないことです。
推奨は「メインの饕餮と目が合う角度」。
この角度は下から見上げるようにすると得られ、
古代中国の作法にしたがって地面に額をつけて伏し拝んだあと顔を上げると
ちょうどベストの角度になるように作られているのではないかとのことです。
この方法は青銅器に限らず色々なものに使えるかもしれません。
再開後に博物館にいくのがより楽しみになるお話でした。
自宅でトーハクを楽しむために バーチャルツアーやぬり絵も
3月3日の1089ブログ「おうちで楽しむ博物館」では「オンラインギャラリー」のほかにも
バーチャルツアーで博物館を楽しめるGoogle Arts & Cultureや
おうちで遊べるぬり絵シートなどの紹介がされています。
(中止されたワークショップで使う予定だったぬり絵も…)
ぬり絵は幼稚園レベルから大人も苦戦しそうなレベルまで。
(絵を描きなれている人にはそうでもないんでしょうか?)