日曜美術館「マティス 幸せの色彩」(2023.6.18)

6月18日の日曜美術館は、東京都美術館で開催中の「マティス展」の会場から。
アンリ・マティスの回顧展が日本でおこなわれるのは20年ぶりだそうです。
小野さんと柴田さんのほかに、原田マハさん・会田誠さん・朝吹真理子さん・リトさんが出演し、マティスとその作品について語ります。

2023年6月18日の日曜美術館
「マティス 幸せの色彩」

放送日時 6月18日(日) 午前9時~9時45分
再放送  6月25日(日) 午後8時~8時45分
放送局 NHK(Eテレ)
司会 小野正嗣(作家、早稲田大学教授) 柴田祐規子(NHKアナウンサー)

ピカソと並び称される20世紀の巨人アンリ・マティス。大胆な色彩と軽やかなタッチで、それまでの絵画の常識を打ち破る傑作を世に送り出した。しかし、その人生は苦難の連続。長い下積み、二つの大戦、死を覚悟した病との闘い。その中でも常に挑戦と実験を繰り返し、84歳で亡くなるまで、生涯を絵画の革新に奉げた。東京都美術館で開催中の大規模な展覧会をめぐり、傑作の数々を味わいながら、その奥深い魅力に迫る。
日曜美術館ホームページより)

出演
原田マハ (作家)
会田誠 (美術家)
朝吹真理子 (作家)
リト (葉っぱ切り絵アーティスト)


アンリ・マティス《赤の大きな室内》(1948)

「マティス展」のポスターやチラシに採用されている《赤の大きな室内》(1948)は、アンリ・マティス(1869-1954)が南フランスのヴァンスにあるアトリエで描いた室内画シリーズのひとつ。
赤で埋め尽くされた室内、90度曲がっているはずのところを平たく展開された壁、輪郭線が溶けたような毛皮の敷物など、いかにも「マティスらしい」要素が集まった絵は、出演者の方々にも強い印象を与えたようです。

「1点あるだけでその場の空気がわっと明るくなる」ような色使いの絵を描いて、原田マハさんいわく「ちょっとジトッとした」アカデミックな絵画の常識を破ったマティスですが、初めから「色彩の魔術師」だったわけではありません。
マティスは長い試行錯誤の末に独自のスタイルを作り上げ、さらに筆を持つことが難しくなった晩年にも新しいやり方で制作をつづけました。
近代美術の改革者として知られるマティスは、自分自身の作品も改革し続けていったようです。


マティスのブレイク前

マティスは、フランス北部の町ル・カトー=カンブレジに商家の長男として生まれました。
生まれつき体が弱かったために商売は継がず、法律家になるべくパリの学校で学んだのですが、見習いとして法律事務所に勤務していた20歳の時に盲腸炎で倒れ、1年間の療養生活を送ることになります。
この時母親がくれた絵具箱が、マティスの人生を大きく変えることになりました。

1891年、21歳のマティスは家族を説得してパリの美術学校に通いはじめます。
のちに自由な色彩と線を用いた表現を追究するマティスですが、この頃は古典的な静物画などを描いていました。

当時の恋人をモデルにした《読書する女性》(1895)は、家具のある室内で読書をする女性の後ろ姿を古典技法にのっとった写実的な表現で描いています。
いわば修業時代にあたるこの期間、マティスの絵はあまり売れておらず、ペンキ塗りなどで生計を立てていたそうです。


「フォーヴィスム」前後のマティス

マティスが色に注目して独自の画風を作り上げ始めたきっかけの作品は、南フランスへの旅や新印象派のポール・シニャック(1863-1935)との交流がきっかけで生まれました。
ボードレールの詩の一節からタイトルを取った《豪奢・静寂・逸楽》(1904)では、新印象派の点描画法(色を光の粒としてとらえ、ドット状に配置する表現方法)を取り入れて、海辺の風景とそこで過ごす裸体の人々を表現しています。

マティスはこの1年後、仲間たちと立ち上げたサロン・ドートンヌに《帽子をかぶった女》(1905。今回は出展されません)を出品。
大胆すぎる色使いを「フォーヴ(野獣)」と評されました。
もちろん悪口ですが、注目を集めたマティスは前衛画家としての地位を固めることになります。

野獣と揶揄われたマティスですが、さらに2年後の《豪奢Ⅰ》(1907)はずっと穏やかな色調になります。
浜辺に立つ裸婦・その足元に跪く人(砂のトンネルを作っているようにも見えます…)・背景に花を持つ人を描いたこの作品は古典的なビーナス像をもとにしているそうですが、色の塗り方はところどころ擦れやムラがあります。
原田マハさんはこの画面中に残されている画家自身の痕跡(筆跡)に20世紀らしさを感じるんだとか。

《豪奢Ⅰ》はパブロ・ピカソ(1881-1973)が同年に描いた《アヴィニョンの娘たち》に比べると強烈さやパワーに劣るものの、穏やかな色や単純化された構図といった柔らかさがピカソに勝つかもしれない…というのは、つい頭の中で「美術家・画家トーナメント」を開催してしまうという会田誠さんの判定でした。


マティスの試行錯誤とスタイルの確立

マティスはこの後もキュビスムに接近したり、古典風に回帰したりと画風を更新し続けます。

第1次世界大戦がはじまった年に描かれた《コリウールのフランス窓》(1914)は、開いた窓の外を真っ黒に塗りつぶした抽象画のような作品。
小野さんが「暗がりに誘うよう」だと感じた黒は、マティスの心境を表現しているのかもしれません。
(マティスは持病のため予備役になりましたが、2人の息子や友人が出征しています)

1930年代になると、自由な線と色彩が融合したような作品が多く描かれるようになります。
この時期に描かれた《夢》(1935)は、空色のシーツの上でまどろむ女性の上半身を描いた作品で、朝吹真理子さんは眠りと覚醒の間で自分の輪郭線があいまいに溶けていくような心地よさを感じるといいます。
いかにも自由かつ伸びやかに描かれたような絵ですが、実は構図を決めた後に何度も描き直しを重ねたもので、完成まで半年以上試行錯誤を重ねたそうです。

1941年に描かれた《マグノリアのある静物》は、赤い背景に花瓶に活けたマグノリアの花をおいて、その周りに貝殻や壺を配置しています。
完成までに70枚近いデッサンを重ねたこの作品は、第2次世界大戦中に描かれたものでした。
この時期のマティスは、ナチスドイツによるフランス侵攻を避けて南仏に疎開中。
さらに癌を患い、手術後も室内で療養しながら身の回りのものを描いています。
そんな状況で描かれた絵の印象は、どこまでもパワフルで自由。
マティスは当時「生き延びて 私は自分流にやれるようになりました」と語ったそうです。


マティスの切り絵 ― ジャズの連作

そして晩年に絵筆を握ることも難しくなったマティスは、あらかじめ色を塗った紙を切り抜いて貼り合わせる「切り絵」の作品を作るようになりました。
葉っぱ切り絵アーティストのリトさんは、これらの切り絵から「自分なりのものを自由にやりたい衝動が強い人なのかな」と、マティスの人となりを想像しています。

サーカスの演者や動物、旅行の思い出などをテーマに作られた《ジャズ》の連作は、1947年に画文集として出版されました。
下絵をほとんど描かずに切り抜いて貼り付ける手法は、アドリブを駆使したジャズのセッションと重なります。
色の混じりがないぶん色が鮮明に入ってくる、というリトさんは、このシンプルなやり方が色を見せるのに一番いい表現なのかも知れないと考えました。


マティスの最高傑作 ― ロザリオ礼拝堂

1941年の大手術の後、療養生活を送っていたマティスを看護した女性がいました。
後に修道女になった彼女は、戦後にマティスを訪ねて戦災で焼けた礼拝堂のデザインについて相談します。
マティスが設計から内装・装飾まですべて手がけたヴァンスのロザリオ礼拝堂は、1948年頃からおよそ4年をかけて1951年に完成しました。

白一色の内部には聖母子、聖人、キリスト受難の場面が黒い輪郭だけで描かれ、抽象的な青・黄・緑のステンドグラスを通して光が差し込むと室内は様々な色に染まります。
(一番美しく見えるのは、冬の午前中なんだとか)

教会としては斬新すぎる礼拝堂のデザインには計画段階から反対意見もありましたが、(マティスの「前衛」というイメージもマイナスだったようです)教会で働く人々は次第に礼拝堂の中に安らぎを見出すようになったといいます。

「私が夢見るのは すべての人の心を癒す よい肘掛椅子のような芸術である」
と言ったマティスの面目躍如でしょうか。

「マティス展」の会場では、5分ほどの映像でロザリオ礼拝堂の中の様子を見ることができます。
ロザリオ礼拝堂は、2020年9月6日の日曜美術館「楽園を求めて ― モネとマティス 知られざる横顔」でも紹介されました。


「マティス展」(東京都美術館)― 20年ぶりの大回顧展

東京都台東区上野公園8-36

2023年4月27日(火)~8月20日(日)

9時30分~17時30分 (金曜日は20時まで)
※入場は閉館の30分前まで

月曜休館・7月18日休館
※7月17日、8月14日は開館

観覧料金(日時指定予約制)
一般 2,200円
大学生・専門学校生 1,300円
65歳以上 1,500円
高校生以下 無料
※身体障害者手帳・愛の手帳・療育手帳・精神障害者保健福祉手帳・被爆者健康手帳の提示で本人および付添い1名まで無料

公式ホームページ