ぶらぶら美術・博物館 山下裕二さん推薦、死ぬまでに見たい日本絵画ベスト10 (2020.07.07)

ぶら美プロデュースの特別展も今回で3回目となりました。
今回は日本絵画の中から「死ぬまでに見たい、見なきゃいけない」10作品を選定。
選んだ山下裕二先生自身が「選ぶの大変ですよ」「無茶ぶり」と言ってしまう
無謀(?)な企画です。

2020年7月7日のぶらぶら美術館
ぶらぶらプロデュース!夢の特別展③
~死ぬまでに見たい日本絵画10選!山下裕二x仏画の最高峰から琳派、若冲、隠し玉まで~

放送日時 7月7日(火) 午後8時~9時

放送局 日本テレビ(BS日テレ)

出演者
山田五郎 (評論家)
小木博明 (お笑いコンビ・おぎやはぎ ボケ)
矢作兼 (お笑いコンビ・おぎやはぎ ツッコミ)
高橋マリ子 (モデル・女優)

山下裕二 (明治学院大学教授)

ぶらぶらがプロデュースする夢の特別展 第3弾!今回は、日本美術史家で、多くの展覧会のプロデュースも手掛ける明治学院大学教授の山下裕二さんが監修「死ぬまでに見たい日本絵画10選」をお届けします。
日本絵画、約1500年におよぶ歴史の中から時代時代を飾った名画を厳選、その魅力をさまざまな逸話とともに解説します。国宝だらけの“画聖”雪舟の名作「天橋立図」。その舞台である京都・天橋立を山下先生が取材に出向き、実際に雪舟も歩いたであろう道程を追体験したのだそう。そこから発見したこと、明らかになった真相とは?
伊藤若冲ブームの火付け役でもある山下先生が思いを語るのは、若冲が命がけで完成させた全30幅もの傑作「動植綵絵」。若冲がなぜ今注目され愛されるのかも見えてきます。
また、これから大ブレイク間違いなし!山下先生いち推しのモダンな日本画も登場します。その他、仏教絵画から絵巻、水墨画、琳派も網羅。永久保存版の1時間です。(ぶらぶら美術館ホームページより)



平安時代から大正まで、厳選の10作品

全10作品のうち国宝が5点、重文は2点。
「死ぬまでに」と言われても大袈裟に聞こえないラインナップです。
この全てが実際の特別展に並べて展示されることはまずないでしょう。
テレビ番組だからこそ許される企画と言えます。

個人的には日曜美術館の「蔵出し!日本絵画傑作15選」(2020年6月)と
どれだけ被るかも注目のポイントだったのですが、
蓋を開けたらわずか2点という事実に日本美術の幅広さを感じました。

《普賢菩薩像》12世紀(東京国立博物館 国宝)

女人成仏を説く法華経に登場し、女性を救う仏として信仰を集めた
普賢菩薩の白象に乗った姿を描いています。
鎌倉、室町と時代が下るにつれて仏画はより華やかな
(ある意味くどい)ものになっていくのに対して、
こちらは落ち着いた上品な色づかいが特徴。
墨の線で描かれた輪郭(仏画は朱で描かれることが多い)が
象や菩薩の肌の白さを引き立てています。

この作品は廃仏毀釈の際に海外に流出思想になったところを
帝室博物館(現東京国立博物館)の山辺某(名前は不明)によって買い取られ(1878年)
戦後の文化財保護法によって絵画では初の国宝指定を受けました(1951年)。
購入金額は当時の金額で10円(現在の150万円)。
「安すぎる」との声が上がる、驚きの価格です。
現在このレベルの平安仏画は何十億もして当然だし、
そもそも同じくらいのクオリティをもつ作品が市場に出ることがあり得ないそうです。

《伴大納言絵詞》12世紀(出光美術館 国宝)

大納言伴善男が政敵であるを陥れるために宮城内の応天門に放火した
「応天門の変」(866年)を描いた歴史物語で、
《信貴山縁起絵巻》(12世紀)、《源氏物語絵巻》(12世紀)、
《鳥獣人物戯画》(12-13世紀)(または《粉河寺縁起絵巻》)とともに
「日本四大絵巻」と呼ばれる傑作です。

応天門の変は絵巻が制作される300年前の事件ですが
13世紀の『宇治拾遺物語』にも収録されており、
この絵巻は当時の人なら知っている「時代劇みたいなもの」なんだとか。
なおこの事件、絵巻の内容とは逆に
藤原氏が伴氏を追い落とすために仕組んだという説もあります。

実物を持ってこられない都合上、番組では
上巻の応天門が放火で焼けた場面のみ公開となりました。
およそ8m(全3巻24m)ある中のごく一部ですが、
絵巻は肩の幅くらいに開いて巻き取りながら場面の移り変わりを楽しむものだそうで、
一度に目に入る場面としてはこの程度が正しい量なのかも知れません。

登場人物のポーズや表情を一人ひとり描き分ける画力から、
当時の絵師の中でも相当絵心のある人気作家が描いたと推測され、
ボストン美術館に所蔵されている《吉備大臣入唐絵巻》の作者でもある
常盤光長(ときわみつなが)が作者ではないかと言われています。

雪舟《天橋立図》16世紀(京都国立博物館 国宝)

歌枕として有名な、京都府北部の天橋立(あまのはしだて)を描いた風景画です。
同時代に例がないリアルな風景画ですが、
天橋立を何度も歩いた山下先生によれば
この絵のと同じ構図が見られる場所は地上のどこにもないそうです。

大体900mの上空から見ると同じような風景が見られるそうで、
(先生はヘリコプターに乗って確認したとか)
雪舟はまず画面の右奥にある山寺(成相寺)から一望できる風景を裏返して描き、
実際に歩いて見た建物などのランドマークを描き加えて完成させたと思われます。
自分の足で登ったであろう成相寺の山が極端に高くなっていたりするのは
雪舟の主観も入っているかもしれません(中国の山水画に倣ったという説もあります)。

非常に完成度の高い風景画に見えるのですが、
寸法の違う21枚の紙を貼り合わせた紙に描かれていること、
また絵の具が乾いていないうちに折りたたんだ跡があることなどから、
完成品ではなく下絵であった可能性が高いようです。

長谷川等伯《松林図屏風》16世紀(東京国立博物館 国宝)

山下先生が卒論のテーマに選んだというこの作品は、
今でもお正月になると東博で展示されます。
最近は、公開されると人がたくさん集まるようになったそうです。

作者の等伯は30代で京都に出て、狩野派と張り合う勢力を一代で築いた人物です。
この作品は中国の画家牧谿のスタイルを取り入れたものですが、
松の木とけぶるような大気を描いた屏風はあまり中国らしくはありません。

この作品は紙のつなぎめが揃っていないことと
一部不自然なほどに小さい紙がついであることから、
もとはもっと大きな絵(おそらく襖絵)のための下絵だったものを
切り詰めて屏風に仕立てたと考えられています。
襖の下絵が今日の国宝となったことを考えると、
屏風を作らせた人(等伯とは別人と思われる)のセンスに頭が下がります。


久隅守景《夕顔棚納涼図屏風》17世紀(東京国立博物館 国宝)

1945年に指定を受けた「一番ゆるい国宝」だそうです。
薄墨で夕顔棚の下で夕涼みする一家と大きな満月を描いた様子は、
確かに「国宝」という言葉のイメージをひっくり返すゆるさかもしれません。
山下先生の言う通り「これ指定した人は偉い!」のです。

絵の素朴な雰囲気からは想像しにくいことに、作者の久隅守景は狩野探幽の門下生。
神足常庵守周、桃田柳栄守光、尾形幽元守義と共に四天王と呼ばれていましたが
息子や娘の不祥事が原因で狩野派から距離を置くことになり、
のちに金沢に移っています。
当地では充実した制作活動を行っていたようで
《夕顔棚納涼図屏風》の制作はこの頃の作品と言われています。

この作品は「夕顔のさける軒端の下涼み男はててれ(襦袢)女はふたの物(腰巻)」
という木下長嘯子(本名勝俊 豊臣秀吉夫人ねねの甥)の歌を元にしているそうです。

伊藤若冲《動植綵絵》1757-1766(宮内庁三の丸尚蔵館)

全30幅のうち、番組に登場したのは
鶏をテーマにした〈南天雄鶏図〉〈群鶏図〉の2枚です。
細かい羽根や蹴爪の先までみっしりと描き込まれた若冲の鶏が、
片方は赤い実をつけた南天を背景に赤いトサカを振り上げ、
片方は13羽が画面いっぱいに密集しているのですから、
スタジオから「圧がすごい」「空気感がない」との声が上がるのも無理はありません。

これらの絵はもともと相国寺の3幅対の《釈迦三尊像》(現在は承天閣美術館蔵)と
セットで、家族と若冲自身の永代供養を願って相国寺に寄進されたものです。
(隙のない描き込みは、信仰心の現われでもあったのでしょうか?)
以来、相国寺の法要で堂内を飾っていたのですが、
廃仏毀釈の際に財政難に陥った相国寺が
《動植綵絵》を宮内庁に献上した(1889年)ことで、国庫に入ることになりました。
(相国寺は当時の金額で1万円の御下賜金を得たそうです)

山下先生は近年の若冲ブームを「多少煽ってきた」火付け役のひとりなんだそうです。

円山応挙《藤花図屏風》1776(根津美術館 重要文化財)

山下先生によると、応挙は非の打ちどころのない絵を描く人なのですが、
国宝になっているのは《雪松図屏風》1点のみ。
「あと3点くらい国宝になっても良いんじゃないか」という先生が
国宝候補の1点として挙げているのが《藤花図屏風》です。

写生を重視し、リアルな作風に徹していた応挙ですが、
中国絵画をはじめ当時のありとあらゆる画風を吸収した彼の作品は
「写真のような」リアルとは少し違うものです。

6曲1双の屏風に1対の藤の木を描いたこの作品でも
幹や蔓は水墨画で一息に描き、花や葉は彩色で細やかに描きます。
紫・青・白を重ね合わせて複雑な色合いを表現した花弁は油彩画を思わせるほど。
このように複数の技法・表現を一つの画面に無理なく、
かつ互いを引き立て合うように収めてしまうのが応挙の真骨頂です。

酒井抱一《夏秋草図屏風》1821(東京国立博物館 重要文化財)

琳派の「琳」の字のもとになった尾形光琳の
《風神雷神図屏風》(18世紀)の裏書として1821年に描かれた作品です。

なお、この前年に抱一は光琳の作品を写した《風神雷神図屏風》を制作しており、
元をたどれば光琳の《風神雷神図屏風》も
俵屋宗達の《風神雷神図屏風》(17世紀)を写して制作されたもので、
この作品は琳派の創始者のひとりである俵屋宗達、
発展させた尾形光琳、江戸に定着させた酒井抱一という
およそ100年おきの琳派の系譜を語る上で重要なピースと言えます。

現在は別の屏風に仕立てられている《夏秋草図屏風》ですが、
風神の裏には紅葉した蔦の葉が風にあおられて飛び散る様子を描き、
雷神の裏には雨に打たれる夏草と増水した川の流れを描く、
また背景が金の《風神雷神図屏風》に対して銀の背景、というように
表との調和を考えたつくりになっています。

抱一の作品は光琳等に比べて一段劣る扱いをされていましたが、
近年再評価も進んだため、この作品は山下先生いわく「未来の国宝の一番手」なんだそうです。

鏑木清方《一葉女史の墓》1902(鎌倉市鏑木清方記念美術館)

近代美人画の巨匠・鏑木清方の初期の代表作です。
当時の清方は人気の挿絵画家として活動するほか、
このような本絵(独立した絵画作品)にも取り組んでいました。

一葉の小説『たけくらべ』の主人公・美登利が
作品のラストを飾る水仙の造花をもって一葉の墓にもたれかかる姿を描いた作品。
築地本願寺にあった樋口家の墓に詣でたことが制作のきっかけになったもので、
墓の様子などはその時のスケッチを元にして描いたそうです。

清方は少年期から一葉の作品を愛読しており、これ以外にも
一葉の肖像・小説をモチーフにした作品を残していますが、
《一葉女史の墓》は「生涯の制作の水上である」と言って生涯手元に置いたそうです。
現在も清方の旧居である鏑木清方記念美術館に所蔵されています。

古村雪岱《青柳》1924(埼玉県立近代美術館)

この作品は古村雪岱の作品としては珍しい本画で、
緑の葉を垂らす柳ごしに日本家屋の座敷が見えます。
人の姿はなく、青々とした畳の上に三味線と鼓が置かれているだけ。
(人がいないのに人の存在を匂わせる手法は「留守模様」というそうです)

編集者の世界では日本初のアートディレクターとも呼ばれている雪岱は
資生堂のポスターやパッケージに使われている「資生堂書体」の作成者として、
また本の装丁・挿絵の仕事で有名ですが、
東京美術学校で日本画を学んだ画家であることは
あまり知られていないかもしれません。
雪岱は1940年に53歳で亡くなっていますが、
短命だったことと戦争が始まった時期だったことから
戦後は忘れられていたそうです。

その雪岱を再発見するべく
山下先生は2020年の10月から巡回展を企画しており、
この作品はそういった意味でも今回の「隠し玉」なんだとか。
東京では2021年の2月から三井記念美術館で開催される予定です。