ぶらぶら美術・博物館 東博で「体感!日本の伝統芸能」「法隆寺 金堂壁画と百済観音」2本立て

2020年4月28日のぶらぶら美術館は、臨時休館中の東京国立博物館で特別展2本立て。
「体感!日本の伝統芸能」では歌舞伎・文楽・能楽・雅楽・組踊の舞台や道具を
普通には見られない視点から堪能し、
「法隆寺 金堂壁画と百済観音」では1949年の火災で焼損した法隆寺金堂の模写、
また1997年のフランスはルーブル美術館での展示以来
23年ぶりでお出ましになられた国宝・百済観音立像と対面します。
現代の技術で再現された「スーパークローン文化財」も登場!

2020年4月28日のぶらぶら美術館
東京国立博物館 特別展 「法隆寺 金堂壁画と百済観音」
〜謎多き国宝仏像、23年ぶりに東京へ!金堂の荘厳な美の世界〜

放送日時 4月28日(火) 午後8時~9時
放送局 日本テレビ(BS日テレ)
出演者
山田五郎 (評論家)
小木博明 (お笑いコンビ・おぎやはぎ ボケ)
矢作 兼 (お笑いコンビ・おぎやはぎ ツッコミ)
高橋マリ子 (モデル・女優)

大木晃弘 (国立劇場制作部歌舞伎課長)
瀬谷 愛 (東京国立博物館保存修復室長)

ウェブサイト


表慶館の特別展
歌舞伎、文楽、能、雅楽、組踊を別の視点から

東京2020オリンピック・パラリンピックを契機として政府が推進する
「日本博」及び「日本美を守り伝える『紡ぐプロジェクト』」の一環として
企画されました。
ユネスコの無形文化遺産に指定された5つの伝統芸能、
歌舞伎・文楽・能楽・雅楽・組踊の世界を
舞台の再現・衣装・道具などの展示で体験する特別展。
(2階回廊では、番外編として民俗芸能とアイヌ古式舞踊の紹介もあったようです)
2020年3月10日(火)から5月24日(日)の予定でしたが、
いまは開催延期中です。
特設ページ

エントランスで迎えてくれるのは国宝《花下遊楽図屏風》の複製品。
文化財活用センターとキャノン株式会社が協力して
関東大震災で焼失した右隻の2扇も失われる前の姿が映されたガラス乾板から復元。
さらにプロジェクションマッピングで幻想的に演出したものです。

失われた部分は桜の下で主演を楽しむ女性たちが描かれ、
左隻に描かれた歌舞伎踊りを披露する女性たちのにぎやかさに対して
華やかながらもゆったりした様子。

特別展2本立ての都合からか、
展示本編は歌舞伎と文楽を散策して他3章はさらっと紹介されました。
本職の手による再現舞台は正面からだけではなく
舞台の上に上がって出演者の視点から伝統芸能を体感することもできるというもの。

またインタラクティブ展示「「隈取」体験」は
モニターに名前を入力して顔を映すと歌舞伎役者のブロマイド風映像をつくってくれます。
メンバーの中で隈取が似合う男として(?)小木さんがチャレンジしていました。
(名前の入力はタッチパネル式ですが、会場に消毒液を設置しているそうです)

もとからのファンはもちろん何となく近寄りがたいと感じている人にも
伝統芸能との距離をグッと縮める良い機会になるはずだったのですが…。


本館の「金堂壁画と百済観音」
隠れたテーマは「保護、保存、修復、再現」

2020年4月12日の日曜美術館でも紹介された、
東京国立博物館本館の「法隆寺 金堂壁画と百済観音」です。(展覧会は中止)
特設ページ

金堂壁画をめぐる取り組み
江戸の仏画、明治~昭和の模写、そして現代の複製陶板

第1会場は展示室を囲むように金堂壁画の模写がめぐらされ、
ありし日の金堂を思わせる配置になっています。
最初に注目されたのは《阿弥陀浄土図》(1852)。
これは壁画を模写したものではなく、
6号壁画《阿弥陀浄土図》から仏の姿だけを抜き出して描いた仏画です。
のちの知恩院75代住職であり京都で修行していた
養鸕徹定(うがい てつじょう、1814-1891)の希望で弟子の祐参が制作し、
現存する模写の中では最古のものだそうです。
(現在は山梨県の高橋山放光寺が所蔵しています)

桜井香雲が明治政府からの依頼で制作した《釈迦浄土図》(1884年頃)と
昭和の大修理にあわせた模写事業に参加した
入江波光ひきいる「入江班」の《阿弥陀浄土図》(1940-51)も紹介されました。
この入江波光という人が金堂壁画模写にかける思い入れは深く
他の仕事をすべて断って白装束で挑んだそうです。
波光は模写事業の完成を見ないまま1948年に世を去りましたが、
その翌年におきた火災で金堂壁画が焼損したことを
知らずに済んだことは幸いだったのかも知れません。

多くの人が魅せられ「とりつかれたようになる」金堂壁画ですが
山田さんいわく「もっともとりつかれた方」鈴木空如の模写も
もちろん紹介されています。
美術学校時代の恩師である山名貫義(やまな つらよし、1836-1902)が
文化財行政とかかわりが深かったとはいっても
(山名は1897年に古社寺保存会委員に任じられています)
すべて自己資金・独力で金堂壁画12面をすべて3度にわたって模写したのは
「とりつかれた」と言っても間違いではない気がします。

ぶら美では過去の金堂壁画を模写した作品のほか、
焼損後の壁画を文化財として活用する取り組みにも触れています。
第2会場では焼損後の壁画を写した
複製陶板(大塚オーミ陶業制作)が展示されていました。
文化財としての焼損壁画の価値が再評価されたことから
法隆寺全面協力のもと奈良県がおこなった事業で、
高精細デジタル撮影した画像を陶板に焼きつけたそうです。

金堂ゆかりの仏像たち
火災を逃れた毘沙門天・吉祥天夫妻、謎の多い百済観音、クローン釈迦三尊像

1949年の火災では金堂自体が解体修理中だったため
堂内の仏像は別の場所に置かれて被害を免れました。
本尊である釈迦三尊像の左右に安置されている
《国宝 毘沙門天立像》と《国宝 吉祥天立像》(ともに1078)も
当時の美しい姿を保っています。
衣の模様まではっきりと残っているのは
江戸中ごろまで全く公開されていなかった金堂の保存環境によるものだそうです。
全体に金箔をほどこした上から漆を塗りこめて金の線を引いたように見せる
奈良地方独特の技法も関係があるのかも知れません。

毘沙門天と吉祥天はいかにも平安らしいふっくらした優美なお顔立ちですが、
飛鳥時代につくられた《国宝 観音菩薩立像(百済観音)》(7世紀)は
アルカイックスマイルを浮かべた細面といい、
8頭身のすらっとした体つきといい、なんだかスタイリッシュです。
背後にある光背を支える支柱は竹をかたどっており、
根元にある山の模様は仏の存在の大きさを表しているんだとか。
「百済」観音という名前もあって朝鮮半島でつくられたものかと思いきや、
実際には日本でつくられた仏像という説が有力です。
(素材のクスノキは日本でよく使われるため)

江戸時代には金堂に安置されていたことが確認されていますが
(現在は法隆寺の第宝蔵院内百済観音堂におさめられています)
それまでの経歴はわかっておらず
だからこそ海の向こうからやってきたものだと信じられたのかも知れません。
当時の資料には「百済より渡来」と記されているそうです。

ただし「百済観音」と呼ばれはじめたのは明治のことで、
それまでは観音菩薩ではなく同じ菩薩の虚空蔵菩薩だと思われていました。
明治になって土蔵からこの像の宝冠が見つかったとき
宝冠に阿弥陀如来の姿が刻まれていた(観音菩薩の特徴)ために
観音菩薩であったことがわかり、
「百済観音」の名前は大正期になって広まったそうです。

法隆寺金堂の本尊である《国宝 釈迦三尊像》(623)は門外不出ですが
この展覧会には東京藝術大学が2017年に制作した複製が展示されていました。
最先端のデジタル技術と人の手による伝統的な技術をあわせて
もとになった作品を完全に再現する「スーパークローン文化財」と呼ばれるものです。
釈迦三尊像の場合は文化庁の許可をえて3Dプリンターで型どりしブロンズで鋳造したもので、
光背に火焔状の飾りがついている所をのぞけば本物とまったく同じなんだそうです。

これは光背のまわりに何かついていた痕跡があったことから
同時期の日本・朝鮮・中国の仏像を参考に付け足しされたものです。
「多分こうだったんじゃないか」という要素を含めた復元のこころみは、
文化財保護法(1950)の制定70周年を記念して
保護・保存・修復・再現をテーマとする今回の展覧会の目玉のひとつ。
東京国立博物館のウェブページで見られる出品リストによると
東京芸術大学からは金堂壁画のスーパークローン文化財である
《第1号壁 釈迦浄土図》《第6号壁 阿弥陀浄土図》《第10号壁 薬師浄土図》(すべて2019)
3面も展示されていたようです。

会場に行けなかったことは返すがえすも無念ですが、
せめて1300年受けつがれてきた財産を
また1000年以上伝えていくことに思いをはせることにします。