日曜美術館「世界で一番美しい本 ベリー侯のいとも豪華なる時禱書」 中世フランスの信仰生活

中世フランスの王族であり、芸術のパトロンでもあったベリー公の注文により
当時最高の技術と素材を惜しみなく注ぎ込まれた「世界で最も美しい中世写本」
『ベリー公のいとも豪華なる時祷書』を紹介します。
時祷書とは、日常の中に信仰を取り入れるために作られたもの。
挿し絵の中には600年前の中世フランスの生活と、
いまも変わらない日々の営みを見ることができます。

(2020年12月13日にアンコール放送)

2020年5月3日の日曜美術館
日曜美術館「世界で一番美しい本 ベリー侯のいとも豪華なる時祷(とう)書」

放送日時 5月 3日(日) 午前9時~9時45分
再放送  5月10日(日) 午後8時~8時45分
放送局 NHK(Eテレ)
語り 柴田祐規子(NHKアナウンサー)
音楽 阿部海太郎

“世界で一番美しい本” と讃えられる「ベリー侯のいとも豪華なる時祷書」。中世フランスの貴族や庶民の暮らしを伝える細密きわまりない描写。金と宝石による鮮やかな彩色。当時の一流絵師たちが80年かけて描きついだ貴重本は、パリ郊外シャンティイ城の宝物庫に秘蔵され専門家さえ見ることが許されない。NHKが8K撮影を許された貴重な映像を再構成。現代フランスの映像も合わせ、日々の喜びを伝えるスローライフを堪能する。(日曜美術館ホームページより)

出演
エロイーズ・デスキュルナンジュ (フラワー・アーティスト)
テレーズ・コレール (綿羊農家)
ルノー・マルリエ (画家)
マチュー・デルディック (コンデ美術館学芸員)
ユベール・チエボー (ブドウ農家)
セバスチャン・ギヨモ (養豚農家)


ベリー公の時祷書

中世ヨーロッパの時祷書は、
ローマ・カトリック教会の信仰と礼拝を日常生活の中でおこなう手引書として
一般の信徒のために作られたものです。
1日に8回の「定時の祈り」をはじめとする祈りの言葉、讃美歌などをまとめて
内容に合わせた挿絵をつけたもので、
王侯貴族や富豪はこぞって豪華な装丁の装飾写本を所有したそうです。

その中でも最も美しいと言われているのが、
現在フランスはシャンティイのコンデ美術館にある『ベリー公のいとも豪華なる時祷書』。
フランス国王シャルル5世(1338-1380)の弟である
ベリー公ジャン1世(1340-1416)が作らせた1冊です。

番組では「ベリー侯」と表記されていますが、
ここではより一般的な「ベリー公」の表記を使います。

ベリー公とランブール兄弟(リンブルク兄弟)

ベリー公はこの時代のもっとも有力な芸術の支援者で、
印刷技術のない当時は貴重品だった写本の蒐集家でもありました。
時祷書の制作を依頼されたランブール(またはリンブルク)兄弟は
フランドル出身のミニアチュール画家。
1409年には『ベリー公の美しき時祷書』(メトロポリタン美術館所蔵)を制作しています。

『ベリー公のいとも豪華なる時祷書』の制作は1410年ごろに始まりましたが、
1416年にベリー公とランブール兄弟が死亡したために一時中断されています。
その後1480年代の終わりに、サヴォイア公カルロ1世(1468-1490)のもとで
ベリー地方出身の職人が完成させたと言われています。

『ベリー公のいとも豪華なる時祷書』とコンデ美術館

『ベリー公のいとも豪華なる時祷書』は
赤い表紙に金の箔押しで紋章と草花の装飾があります。
中身は子牛の皮から作った高級皮紙のベラムに
ラピスラズリ(青)、コチニール(赤)、象牙の炭(黒)など
世界中から集めた高級な顔料を使って彩色したもの。
印刷技術がない時代ですから、文字も絵もすべて手作業の一点ものです。

コンデ美術館は、ルネサンス時代に建造されたシャンティイ城の中にあります。
城とコレクションをフランス学士院に遺贈した
オマール公アンリ・ドルレアン(1822-1897)の遺志で
コレクションの貸し出しと展示室の変更が禁止されているため、
コンデ美術館の所蔵品は他で見ることができません。

もちろん『ベリー公のいとも豪華なる時祷書』も門外不出。
城の収蔵庫で大切に保管され、外部の専門家でも滅多に見せてもらえないそうです。
撮影のために本を開く時は、背を傷めないよう
開く角度を調整した書見台にブランケットを敷いた上に置かれ、
ページをめくるのも下の方をそっとつまむようにしていました。
“世界で一番美しい本” の美しさは、
こういった細かいことの積み重ねで守られているようです。


600年前の貴族と農民の日常

『ベリー公のいとも豪華なる時祷書』の挿絵には
貴族の行楽や宴の様子や、仕事に励む農民の姿など、
聖職ではない信者たちの生活が描かれています。
時祷書は修道院でおこなうような日々の務めを教えるものですが、
元になるのはあくまでも日常の生活なのです。

月ごとの挿し絵に見る、現在につながる営み

冒頭にあるのは1年の暦。
見開きの左ページには細密画で月ごとの風物様子をあらわし、
右にはその月のカレンダーとキリスト教の祝祭日を示したページがあります。
4月からはじまり、3月で1年が巡ります。

  •  4月  貴族の婚約の儀式
  •  5月  男女が森で愛を語らう若葉狩り
  •  6月  畑の草刈り
  •  7月  小麦畑の刈り入れと羊の毛刈り
  •  8月  鷹狩りに出かける貴族の男女と、水浴する農民たち
  •  9月  ブドウの収穫
  • 10月 冬越しの種まき
  • 11月 森でドングリを食べる豚(豚たちは年末年始のご馳走になる)
  • 12月 イノシシ狩り(貴族の鍛錬でもある)
  •  1月  新年を祝う宴
  •  2月  冬が過ぎるのを待つ農村の風景
  •  3月  畑の土起こしとブドウの木の手入れ

貴族たちの遊興とともに、その月におこなわれる大切な農作業が描かれています。
これは神が定めた祝祭日を目安にして農作業が進められていたためで、
今でも昔の暦に従って1年の計画を立てる農家は多いそうです。
道具の形や作業の様子がかなり詳しく描かれ、当時の生活を垣間見ているよう。
ランブール兄弟は、実際の人々や風景に取材して描いたのかもしれません。

絵の中にはシテ島のサント・シャペル、ルーヴル宮殿といった実在の建物も描かれ、
新年を祝う宴の様子を描いた1月のページにはベリー公とランブール兄弟の姿も。
かと思うと3月の挿絵では、土起こしとブドウの木の手入れに励む人々の
背後にある城(リュジニャン城。現存しません)の上空を竜が飛んでいます。
この竜はリュジニャン一族の先祖メリュジーヌ(またはメリサンド)で、
子孫と城を守っているのだそうです。

季節が巡り、今年も去年と同じ仕事ができること。
そして来年も同じように巡りくることは、
戦争やペストの流行で死の恐怖が身近にあった中世の人にとって切実な願いでした。
生活と信仰、そしておとぎ話が入り混じる時祷書の世界は、
理想の世界を描くことによって「現実の生活もこのようでありますように」という
祈りの形をあらわしているのかも知れません。